『伊達治家記録』の元となった引証記を見たくて仙台市博物館と宮城県図書館を巡った。
その中の真山記に特に関心があったから。
真山記は、慶長12年(1607)に勘定役となったのちに伊達政宗の右筆や近習を歴任した真山正兵衛俊重(まやましょうべえとししげ)が残した記録。
電話で尋ねたところ、仙台市博物館にあるとのことだったので、昨日行ってみた。
しかし学芸員からは、博物館ではなく宮城県図書館が所蔵しているとの回答が返ってきた。
このままただ戻るのももったいないので、開催中の企画展『戦国の伊達政宗の城 仙台の町』を急ぎ足で見てきた。
そして今日は、宮城県図書館へ。
政宗君記録引証記はマイクロフィルム化されている。
(これは、川崎町公民館が所蔵している原資料を昭和44年6月2日に借用・複写したもの。)
肝心のフィルムはうまくコマ送りができず、途中で断念。
周辺資料をもっと調べてのちに、再度見せてもらうことにした。

(仙台市博物館)



(木立に沈んだように建つ宮城県図書館)


(地形広場)


(首塚堤)
その中の真山記に特に関心があったから。
真山記は、慶長12年(1607)に勘定役となったのちに伊達政宗の右筆や近習を歴任した真山正兵衛俊重(まやましょうべえとししげ)が残した記録。
電話で尋ねたところ、仙台市博物館にあるとのことだったので、昨日行ってみた。
しかし学芸員からは、博物館ではなく宮城県図書館が所蔵しているとの回答が返ってきた。
このままただ戻るのももったいないので、開催中の企画展『戦国の伊達政宗の城 仙台の町』を急ぎ足で見てきた。
そして今日は、宮城県図書館へ。
政宗君記録引証記はマイクロフィルム化されている。
(これは、川崎町公民館が所蔵している原資料を昭和44年6月2日に借用・複写したもの。)
肝心のフィルムはうまくコマ送りができず、途中で断念。
周辺資料をもっと調べてのちに、再度見せてもらうことにした。

(仙台市博物館)



(木立に沈んだように建つ宮城県図書館)


(地形広場)


(首塚堤)
来ていましたが結構来ていたみたい。
真山記は知りませんでした。今度、話を聞かせてください。
真山記は、伊達の黒船サン・ファン・バウティスタを語るときには外せない資料のようです。(出帆地は、記念碑の建つ石巻の月ノ浦ではなく、雄勝浜だと。)
私の場合は、堀(運河)開削に関して確認しておこうと思った次第です。