2019.08.21(水)5年ぶりに再開されるという見沼通船堀閘門開閉実演を見るため、さいたま市緑区大字大間木まで行ってきた。
(『国指定史跡 見沼通船堀』さいたま市教育委員会文化財保護課作成リーフレットから抜粋コピー転載)
この日は、できるだけ早く自宅に戻る必要があったので、通船堀周辺で興味のあるところを先に訪れようと早起きし、JR武蔵野線『東浦和駅』へ。
先ずは、見沼通船堀公園。
竹林が美しい。(ゴミ捨て禁止の看板がやたら目につくが・・・。)
その竹林の道を行く。
『女体新橋』
橋の上で清掃していた年配の男性に、「ドキッとする名前ですね。」とつい声をかけてしまった。
「近くに女体神社があるからね。」
その方の笑顔が素敵だった。
その女体神社に参拝。
思えば男体山があることだから、“女体”で驚くくらいのものではないのだが~。
西縁二の関は、少々腐朽が進んでいるようだ。
堀沿いの道を進む。
芝川(見沼中悪水)を越す。
ここで、水神社に立ち寄ることを忘れてしまっていた。
一の関、二の関と覗き込んでみた。
通船実演までまだだいぶ時間がある。
堀脇の道を行き交う人がいても、わたしのように立ち止まる者はいない。
(東縁一の関から二の関)
(一の関:ここに板が落とされて水位が調節される。)
(二の関:同上)
このまま、木曽呂の富士塚に行ってみることにした。
途中の稲荷神社に立ち寄る。
そこから車の往来のかなりある道を進んで左折。
気温が高いので汗がしたたり落ちる。
坂道を上り、日本食料理店の方に曲がるとそこが富士塚の入り口。
鳥居前の大イチョウの実がかなり地面に落ちている。
それを踏まないようにして鳥居をくぐり、塚を見上げる。
確かに富士山の形をした小山があり、登山道も作られている。
せっかくなので上ってみた。
頂上はお鉢廻りができるように火口もあるというが、今はほぼ平になっていた。
西側の道を下りて、周回終了。
(木曽呂の富士塚:国指定重要有形民俗文化財)
(富士山を模して築造。高さ5.4m 直径20m)
次に、川口自然公園に行ってみることにした。
金網フェンスで遮られた水路に沿ってけっこう歩く。
涼しければ楽しい歩きも、この日は別。
とにかく暑い。
(水路沿いの道:これは帰りに撮影)
(桐の大木の高いところに置かれたミツバチ用の巣箱)
(サクラと皇帝ダリアの道:右が皇帝ダリア 秋の終わりごろのダリア花は見事だろう。)
歩き飽きてきたところで、公園に到着。
園内を半周。
すごい望遠レンズをつけたカメラマンたちがいた。
皆さんの狙いは「カワセミ」。
(そういえば、わたしの住んでいる二子玉川周辺でも、野川や多摩川べりで大きなカメラをもった年配の方々(男女)をよく目にする。その皆さんもカワセミを主とした野鳥撮影が目的。“これまた良い趣味”“わたしもいずれは”と思ったりしている。)
池のほとりでは釣りを楽しむ方たちもいる。
通船実演会場を目指して来た道を戻る。
開始30分前に二の関に着いた時にはすでに沿道に沢山の人。
良いと思える撮影ポイントもすでに埋まっていた。
暑い陽ざしの下で、汗を拭きふき待つ。
主催者あいさつ、通船堀の説明があった後、いよいよ一の関に板が投下された。
一枚一枚、両岸から長い竹竿を使って積み重ねていく。
(享保16(1731)年に、江戸との舟運を目指して堀(運河)を開削し、閘門をも設置したその高い技術力の一方で、水位調節の板を一枚ずつ重ねる必要がどこにあるのか、作業を眺めながら疑問に思った。最初から扉状に造っておいて、それをそのまま落とせば事足りるはずではないか? 今もその疑問は解けないでいる。)
(せき止め用の板が落とされる。)
二の関側からも水が流れ込み、閘室内の水位が上がってきた。
当時の2分の1サイズに復元されたという艜船(ひらたぶね)が、船頭役がさす竿によってゆっくりと動き出した。
(『国指定史跡 見沼通船堀 閘門開閉実演』さいたま市教育委員会文化財保護課作成チラシ(裏面)から抜粋コピー転載)
それにしても、この実演はかなり人気があるようで、堀沿いの両サイドにはますます大勢の人が集まってきた。
宮城県の貞山堀(運河)、北上運河、東名運河でも参考にすべきところ多々あると思いつつ、地元の方々による往時の舟歌や踊りの実演が始まったところで、わたしは会場を後にした。
(一の関の背後:板のすき間から水が流れ落ちている。)
※見沼通船堀、水神社、木曽呂の富士塚などに関する詳細な紹介は、『貞山・北上・東名運河事典』”水の道”紀行に掲載しました。 ⇒ こちら
(『国指定史跡 見沼通船堀』さいたま市教育委員会文化財保護課作成リーフレットから抜粋コピー転載)
この日は、できるだけ早く自宅に戻る必要があったので、通船堀周辺で興味のあるところを先に訪れようと早起きし、JR武蔵野線『東浦和駅』へ。
先ずは、見沼通船堀公園。
竹林が美しい。(ゴミ捨て禁止の看板がやたら目につくが・・・。)
その竹林の道を行く。
『女体新橋』
橋の上で清掃していた年配の男性に、「ドキッとする名前ですね。」とつい声をかけてしまった。
「近くに女体神社があるからね。」
その方の笑顔が素敵だった。
その女体神社に参拝。
思えば男体山があることだから、“女体”で驚くくらいのものではないのだが~。
西縁二の関は、少々腐朽が進んでいるようだ。
堀沿いの道を進む。
芝川(見沼中悪水)を越す。
ここで、水神社に立ち寄ることを忘れてしまっていた。
一の関、二の関と覗き込んでみた。
通船実演までまだだいぶ時間がある。
堀脇の道を行き交う人がいても、わたしのように立ち止まる者はいない。
(東縁一の関から二の関)
(一の関:ここに板が落とされて水位が調節される。)
(二の関:同上)
このまま、木曽呂の富士塚に行ってみることにした。
途中の稲荷神社に立ち寄る。
そこから車の往来のかなりある道を進んで左折。
気温が高いので汗がしたたり落ちる。
坂道を上り、日本食料理店の方に曲がるとそこが富士塚の入り口。
鳥居前の大イチョウの実がかなり地面に落ちている。
それを踏まないようにして鳥居をくぐり、塚を見上げる。
確かに富士山の形をした小山があり、登山道も作られている。
せっかくなので上ってみた。
頂上はお鉢廻りができるように火口もあるというが、今はほぼ平になっていた。
西側の道を下りて、周回終了。
(木曽呂の富士塚:国指定重要有形民俗文化財)
(富士山を模して築造。高さ5.4m 直径20m)
次に、川口自然公園に行ってみることにした。
金網フェンスで遮られた水路に沿ってけっこう歩く。
涼しければ楽しい歩きも、この日は別。
とにかく暑い。
(水路沿いの道:これは帰りに撮影)
(桐の大木の高いところに置かれたミツバチ用の巣箱)
(サクラと皇帝ダリアの道:右が皇帝ダリア 秋の終わりごろのダリア花は見事だろう。)
歩き飽きてきたところで、公園に到着。
園内を半周。
すごい望遠レンズをつけたカメラマンたちがいた。
皆さんの狙いは「カワセミ」。
(そういえば、わたしの住んでいる二子玉川周辺でも、野川や多摩川べりで大きなカメラをもった年配の方々(男女)をよく目にする。その皆さんもカワセミを主とした野鳥撮影が目的。“これまた良い趣味”“わたしもいずれは”と思ったりしている。)
池のほとりでは釣りを楽しむ方たちもいる。
通船実演会場を目指して来た道を戻る。
開始30分前に二の関に着いた時にはすでに沿道に沢山の人。
良いと思える撮影ポイントもすでに埋まっていた。
暑い陽ざしの下で、汗を拭きふき待つ。
主催者あいさつ、通船堀の説明があった後、いよいよ一の関に板が投下された。
一枚一枚、両岸から長い竹竿を使って積み重ねていく。
(享保16(1731)年に、江戸との舟運を目指して堀(運河)を開削し、閘門をも設置したその高い技術力の一方で、水位調節の板を一枚ずつ重ねる必要がどこにあるのか、作業を眺めながら疑問に思った。最初から扉状に造っておいて、それをそのまま落とせば事足りるはずではないか? 今もその疑問は解けないでいる。)
(せき止め用の板が落とされる。)
二の関側からも水が流れ込み、閘室内の水位が上がってきた。
当時の2分の1サイズに復元されたという艜船(ひらたぶね)が、船頭役がさす竿によってゆっくりと動き出した。
(『国指定史跡 見沼通船堀 閘門開閉実演』さいたま市教育委員会文化財保護課作成チラシ(裏面)から抜粋コピー転載)
それにしても、この実演はかなり人気があるようで、堀沿いの両サイドにはますます大勢の人が集まってきた。
宮城県の貞山堀(運河)、北上運河、東名運河でも参考にすべきところ多々あると思いつつ、地元の方々による往時の舟歌や踊りの実演が始まったところで、わたしは会場を後にした。
(一の関の背後:板のすき間から水が流れ落ちている。)
※見沼通船堀、水神社、木曽呂の富士塚などに関する詳細な紹介は、『貞山・北上・東名運河事典』”水の道”紀行に掲載しました。 ⇒ こちら
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