旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

コブシの花~北への郷愁

2021-03-06 21:53:13 | 花鳥風月
近所にある野川緑道のコブシ(辛夷)の花が満開になっている。
この花を目にすると、やっぱり東北のわが故郷を思い出してしまう。





「コブシ咲く あの丘 北国の ああ北国の春♪」(『北国の春』:いではく作詞・遠藤実作曲)が記憶に強く刷り込まれているからかもしれない。
いやそれ以上に、この花が春を告げる里山に慣れ親しんだわが幼少期の実体験が心身に深く沁み込んでいるからなのだろう。







それにしても、人はなぜ北に向かおうとするのだろうか。
名の知れた日本の演歌の数々だって、“北”に向かうものが多い。

「日が昇る東、日が没する西、あたたかな南、そして寒冷な北。北は生命が塞がれる方角、さらには生命が始まり、終わる場所として認識されたのではないか」と、朝日新聞天声人語(2021.02.12)では、赤羽正春さん著書の『白鳥』を受けて紹介していた。

そういえば、宮澤賢治は、亡き妹としを追い、宗谷海峡を越えて樺太まで行っている(オホーツク挽歌)。

手持ちの漢語林(大修館書店)を開いてみれば、「北」という字は「匕部」にあり、この「匕(さじ、やじり、あいくち、ならぶ・したしむ)」の甲骨文字は年老いた女性の形にかたどり、なき母の意味を表すとある。
そして「北(きた、そむく、にげる)」の甲骨文字は二人の人が背を向けている、そむくの意味を表し、転じてにげるの意味を表す。また、人は明るい南面に向いて坐立するのを好むが、そのとき背にする方、きたの意味を表すとある。

北極星は北極の上空にあって位置を変えずに輝き、物事の不動の中心に例えられる。
仰ぎ見れば天には変わらぬ星がそこにあり、翻って星の方からジッと見つめられている感が湧き、身の引き締まる思いがしてくる。

やはり「北」は、「にげる」「そむく(背く)」ということであっても、それが「回帰」「再生」にも転ずるという方角としてあるのだろう。

   病のごと
   思郷のこころ湧く日なり
   目にあをぞらの煙かなしも
                 石川啄木 『一握の砂』


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