加美町中新田交流センター(宮城県)で開催された『みやぎ街道交流会』に参加してきた。
昨夜は、民間の方々によるサロンに招かれ1時間ほど貞山運河の話をさせていただいた。その後は場所を変えての談義。
ついはしゃいでしまって、皆さんと別れて後は一人で国分町を徘徊。
なので街道交流会の方は、まったくもって体調不良でシンドイものとなってしまった。
それにしても、今回も興味の尽きない内容だった。
奈良~平安前期に、朝廷の蝦夷政策として加美地方に設けられた東山遺跡、色麻柵(宮城県色麻町)から大室柵(山形県尾花沢市)に至るいわゆる「玉野新道」などについて、発掘調査の結果を踏まえた詳細な話を聞くことができた。
東方に位置する多賀城から放物線上に築かれた城柵が、東北地方侵略の前線拡大の軌跡と思えばなお興味が湧く。
(西方) 東山官衙遺跡(ひがしやまかんがいせき)~城生柵(じょうさく)~名生館官衙遺跡(みょうだてかんがいせき)~小寺遺跡~宮沢遺跡~新田柵 ・・・・多賀城(東方)
※小寺遺跡、新田柵を除きいずれも国指定の史跡(多賀城は特別史跡)
第二部の「街道談義」、翌日実施の第三部「探訪会 軽井沢越最上海道」は不参加。
なお、6月に歩いた最上海道の様子は、次をご覧ください。
⇒ こちら
(▲前東北歴史博物館副館長の白鳥さんによる説明)
(▲旧鳴瀬小学校を改造した中新田交流センター:宿泊も可能)
昨夜は、民間の方々によるサロンに招かれ1時間ほど貞山運河の話をさせていただいた。その後は場所を変えての談義。
ついはしゃいでしまって、皆さんと別れて後は一人で国分町を徘徊。
なので街道交流会の方は、まったくもって体調不良でシンドイものとなってしまった。
それにしても、今回も興味の尽きない内容だった。
奈良~平安前期に、朝廷の蝦夷政策として加美地方に設けられた東山遺跡、色麻柵(宮城県色麻町)から大室柵(山形県尾花沢市)に至るいわゆる「玉野新道」などについて、発掘調査の結果を踏まえた詳細な話を聞くことができた。
東方に位置する多賀城から放物線上に築かれた城柵が、東北地方侵略の前線拡大の軌跡と思えばなお興味が湧く。
(西方) 東山官衙遺跡(ひがしやまかんがいせき)~城生柵(じょうさく)~名生館官衙遺跡(みょうだてかんがいせき)~小寺遺跡~宮沢遺跡~新田柵 ・・・・多賀城(東方)
※小寺遺跡、新田柵を除きいずれも国指定の史跡(多賀城は特別史跡)
第二部の「街道談義」、翌日実施の第三部「探訪会 軽井沢越最上海道」は不参加。
なお、6月に歩いた最上海道の様子は、次をご覧ください。
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(▲前東北歴史博物館副館長の白鳥さんによる説明)
(▲旧鳴瀬小学校を改造した中新田交流センター:宿泊も可能)
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