”花の季節に”と思い続けてきた岩谷堂の穴薬師。
加えて、ウメの花見に岩笠、そして権現森と活牛寺。
それらを回るため、2018.03.31(土)に出かけてきた。
穴薬師については、『(続)東北の山遊び』(SONEさん)で知り、それ以来、強く興味を惹かれていた。
天気は申し分なし。
野山に出るのは今年初めてのこと。
ところが、昨年まであまり感じなかったスギ花粉症は、かなりきつい。
それでも出歩くのは、やはり楽しい。
国道48号線を作並方向に進み、ニッカウヰスキー仙台工場入口を左に見て奥の岩谷堂集落に入る。
道は、右、右と行く(進むにつれてかなり細くなり、対向車が来ると少々面倒なほど)。
穴薬師山門前には、路肩といっても結構広いスペースがあり、車を置くことができた。
(この分岐を右に入る)
*
◆穴薬師
山の中腹に露出した凝灰岩に、横6.38m、縦6.75m、奥行き3.0mの穿(うが)った洞窟の中に、多羅(たら)の木で刻まれた東方薬師瑠璃光如来が祀られている。
この穴薬師には、哀れな叔父と姪夫婦の悲話が伝えられている。
”その昔、この山麓の家に、鄙(ひな)にもまれな美しい一人の娘が住んでいた。
この娘の家には、親や兄弟のほかにごふだい(御譜代)の叔父といって年中どこにも行かずにいる少々やっかいものの叔父が一緒に暮らしていた。
彼らは血縁の連なる叔父と姪。
長じて娘は美しく成長し、その風評は近郷近在はもとより、遠く山を越えて最上地方まで及んだという。
このごふだいの叔父は、いつしか美しい姪を恋するようになっていた。
悶々と思いあぐんだある日、意を決して娘の父親に「なにとぞ妻に」と懇願。
すると父親は、二人の仲を許そうとしないばかりか、山の岩肌に御薬師様を祀る岩屋をうがつほどの一念があれば許そうという難題を突き付けた。
そこで彼は一念発起し、一心不乱に鶴嘴(つるはし)を振り続け、血と汗の忍従3年の後に、岩屋を完成させた。
かたくなな娘の父親の気持ちもついに折れて、二人が夫婦になることを許した。
男は、その妻をただひたむきに愛し続けた。
歳月は夢のように過ぎ、妻は身重になった。
二人は、生まれてくる子のことを楽し気に語り合い、将来に思い馳せた。
しかし妻は、難産に苦しんで死んでしまった。
夫が妻の屍に取りすがって慟哭するも、妻の魂を呼び戻すことはできなかった。
男は、残酷な運命を呪い嘆きながらも、このような悲しみは自分ひとり沢山だ、後の世の人々には同じような悲しみを味合わせてはならないと考え付いた。
そして彼は、かつては美しい妻を得ようとつるはしを振るったその真上の岩壁に薬師如来を唯一途に念じながら、渾身の力を振るった。
こうして7年の歳月の後、「難産に死ぬ人なかれ」との悲願を込めて掘り終えた彼は、この世に思い残すことなしと、愛しい妻と子の後を追い、静かに死んでいった。
それからの後は、この岩谷堂集落では難産で死ぬ人がなくなったという。
いつしか人々は、この叔父と姪の夫婦を薬師如来の化身と語り継ぎ、参詣に訪れるようになった。” (参考:宮城町史 本編(改訂版) 昭和63年3月31日発行)
*
山門前にはスイセンが咲き誇っている。
両側には、つぼみが大きくなったサクラの木。
それに、熊出没の注意標識。
(今日は自分ひとり。笛を一度鳴らし、トレッキングポール1本とカメラだけを手に歩き出した。)
いよいよ登山道のような上りに入るとすぐに鐘楼、そして石祠。
その先の斜面にはカタクリがいっぱい咲いている。
その上部にはポッカリと空いた大きな穴。
脇には地蔵尊が置かれている。
岩窟に足を踏み入れ、しばしノミの跡や鬼子母神像などを眺め、先の悲話を思い起こした。
(中央に鬼子母神像、左側には文字が刻まれた石、右側のくぼみには石が積み重ねられている)
(奥から入口方向を見る)
次に、手すりのある階段状に作られた石段を上部に移動。
これまたすごい。
二本の太い石柱のあるまさに窟屋。
最奥部には社殿が埋めこまれている。
仏教で教える「自利と利他は別個の行為ではありえない」とはこのことかと思いつつ、静かにしずかにお参りさせていただいた。
(薬師瑠璃光が祀られている)
(内部の様子)
(下界の眺望)
(裏側にも回ってみた)
(エンレイソウとカタクリ)
(ネコノメソウ)
*
次は、もう一つの目的地の岩笠へ。
落合口は、車が2台しか置けない。
今日はかろうじて1台分空いていた。
ここから岩笠への上り口がある梅林までは、けっこう通行量のある県道歩き。
(表参道の駐車スペース:かろうじて1台停められほどの広さしかない)
(満開の梅林)
仙山線の線路を越えて岩笠に向かう。
こちらも迫力ある。
(電車を見送り、線路を越える)
(岩笠)
岩塊に沿うようにして上って行く。
岩笠の上部に立ち、遠望を楽しんだ。
(落合の町並み)
(左から大東岳、右へは後白髪山・三峰山・泉ヶ岳などの山並み)
(雁戸山のアップ)
(蔵王熊野岳)
ここから先はヤブ漕ぎ。
前回は直進したが、今回は廃林道らしきところをたどってみた。
(結局のところ、こちらもヤブ漕ぎだった。)
松尾神社の表参道への合流方向は分かっているので心配することはなかったが、倒木に行く手を遮られ、面倒だった。
※右手にポケットティッシュ、左手にコンビニ袋。鼻グシュグシュで3歩歩めずといったような状態でもあった。
(倒木をくぐる)
(くぐって手をついたところに咲いていたナガハシスミレ(長嘴菫)に一瞬ギョッとした:花の距が天狗の鼻のように長い)
※距(きょ):ガクや花ビラのもとにある突起で、中に蜜腺がある。
(松尾神社)
※由来については ⇒ こちら
神社で昼食休憩。
権現森の北峰を目指して進む。
アカマツ3兄弟は伐採されていた。
(アカマツ3兄弟は討ち死にか?!)
カタクリの園はたくさん咲いていたが、なかなか良いアングルで撮影できないので、先を急ぐことにした。
アカマツ通りの「おじゃま石」付近のアカマツも伐採されていた。
※MTB・バイク走行者に対する注意書きを目にし、「こんなところに来てまで走るなよ!!」とついカチンときてしまった。
(おじゃま石)
山頂の東屋まで行ってすぐに戻り。
展望台で、子連れの若夫婦とわが同年配と思しきご夫婦とあいさつを交わして活牛寺を目指して歩き出した。
寺では狸公尊縁起をざっと見し、来た道を上り返した。
(活牛寺:登山口は中央後方)
松尾神社手前まで戻り、落合口に向かって下る。
この道も我が大好きなところ。
カタクリ、マンサクなどを眺めながら、モミの木広場脇を抜けてトコトコと車まで戻ってきた。
スギ花粉に悩まされたとはいえ、久しぶりに楽しい歩きだった。
(穴薬師)
(岩笠・権現森・活牛寺)
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