今日は、約500冊の本を車に積み込んで、市内太白区鈎取の万葉堂書店に行き、引き取ってもらった。
汗をふきふき1週間かけて整理してきた本も、その金額たるや微々たるもの。
せっかくの機会なので、帰路に仙台市三神峯(みかみね)公園に寄ってきた。
ここは、桜の名所だが、東北大学の前身の旧制二高や、上杉地区に移転する前の明善寮(学生寮)があったところでもある。
夏草の生い茂る中に立つ石碑を眺めていると、過ぎ越し日々が少しばかり懐かしく思えてきた。
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(二高尚志の碑)
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第二高等学校は、学都仙台の象徴として明治二十年(一八八七)四月開設された。爾来誠実勤勉の蜂章と雄大剛健の気風で全国から一四〇三九名の俊英がここに学んだ。片平丁、北六番丁の学舎を経て昭和二十年(一九四五)七月の戦災によりここ三神峯の地に移転した後、昭和二十五年(一九五〇)三月に学制改革により最後の卒業生を送って、その歴史を閉じ東北大学に包摂された。二高創立百周年に当りこの終爲の地に尚志の精神を永く伝えるべく第十代野口明校長の歌を刻み、青春の想いを桜花にたくし懐古の情を松風に寄せて吾等二高の挽歌とする。
昭和六十一年十月
第二高等学校尚志同窓会
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(東北大学三神峯明善寮懐旧の碑:散りにし花は幻か わが若き日の夢なるか)
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東北大学三神峯明善寮は、一九四九年(昭和二十四年)五月旧制第二高等学校明善寮の後身として発足した。寮は、当時の東北大学第一教養部構内の一角に、現在ある碑の北二百五十米の所に、木造二階建の寮舎及び食堂の二棟があって百六十余名の収容自治寮であった。(中略)当時の社会は敗戦の荒廃から未だ回復せず混乱と窮乏のさなかであったが、寮生は困難な環境に屈せず新しい日本を創る気概に燃えて勉学に励んだ。また、時として夜を撤して世界を論じ、人生を語り、三神峯の丘を遥しては青春を謳歌した。爾来三十幾星霜、寮生は各界で活躍しているが苦しい時代に培われた互の友情はいささかも色褪せることなく続いている。教養部も寮も、もはや痕跡すら残していない。今往時を偲ぶよすがとすべくこの碑を建立するものである。
一九八九年五月
東北大学三神峯明善寮
元寮生有志
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(仙台陸軍幼年学校の碑:雄大剛健)
仙台陸軍幼年学校は、明治三十年榴岡に開校し大正十三年一旦廃止、昭和十二年ここ三神峯の地に復活、同二十年第二次大戦の終焉を以って武窓の歴史を閉ず、雄大剛健感恩報謝を校風とし修分練武をかさねし生徒二千九百余名を算う。その多くは祖国の危急に際し艱難の戦野に赴き、戦空を翔り身命を同胞の守護に捧ぐ。曽て台上に桜樹を植栽し爛漫の春に謳い玲瓏の秋を愛でし若武者の姿、今や無し同窓相寄り昭和四十八年校史「山紫に水清き」編纂して事蹟を誌すも杜の都を心の故郷と慕う、情やみ難く開校八十年再建四十年を卜し英霊の誠を彰れし祖国の平和と繁栄を祈念して校跡に建碑す。
昭和五十二年五月
仙幼会
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(ツリガネニンジンの花)
汗をふきふき1週間かけて整理してきた本も、その金額たるや微々たるもの。
せっかくの機会なので、帰路に仙台市三神峯(みかみね)公園に寄ってきた。
ここは、桜の名所だが、東北大学の前身の旧制二高や、上杉地区に移転する前の明善寮(学生寮)があったところでもある。
夏草の生い茂る中に立つ石碑を眺めていると、過ぎ越し日々が少しばかり懐かしく思えてきた。
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(二高尚志の碑)
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第二高等学校は、学都仙台の象徴として明治二十年(一八八七)四月開設された。爾来誠実勤勉の蜂章と雄大剛健の気風で全国から一四〇三九名の俊英がここに学んだ。片平丁、北六番丁の学舎を経て昭和二十年(一九四五)七月の戦災によりここ三神峯の地に移転した後、昭和二十五年(一九五〇)三月に学制改革により最後の卒業生を送って、その歴史を閉じ東北大学に包摂された。二高創立百周年に当りこの終爲の地に尚志の精神を永く伝えるべく第十代野口明校長の歌を刻み、青春の想いを桜花にたくし懐古の情を松風に寄せて吾等二高の挽歌とする。
昭和六十一年十月
第二高等学校尚志同窓会
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(東北大学三神峯明善寮懐旧の碑:散りにし花は幻か わが若き日の夢なるか)
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東北大学三神峯明善寮は、一九四九年(昭和二十四年)五月旧制第二高等学校明善寮の後身として発足した。寮は、当時の東北大学第一教養部構内の一角に、現在ある碑の北二百五十米の所に、木造二階建の寮舎及び食堂の二棟があって百六十余名の収容自治寮であった。(中略)当時の社会は敗戦の荒廃から未だ回復せず混乱と窮乏のさなかであったが、寮生は困難な環境に屈せず新しい日本を創る気概に燃えて勉学に励んだ。また、時として夜を撤して世界を論じ、人生を語り、三神峯の丘を遥しては青春を謳歌した。爾来三十幾星霜、寮生は各界で活躍しているが苦しい時代に培われた互の友情はいささかも色褪せることなく続いている。教養部も寮も、もはや痕跡すら残していない。今往時を偲ぶよすがとすべくこの碑を建立するものである。
一九八九年五月
東北大学三神峯明善寮
元寮生有志
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(仙台陸軍幼年学校の碑:雄大剛健)
仙台陸軍幼年学校は、明治三十年榴岡に開校し大正十三年一旦廃止、昭和十二年ここ三神峯の地に復活、同二十年第二次大戦の終焉を以って武窓の歴史を閉ず、雄大剛健感恩報謝を校風とし修分練武をかさねし生徒二千九百余名を算う。その多くは祖国の危急に際し艱難の戦野に赴き、戦空を翔り身命を同胞の守護に捧ぐ。曽て台上に桜樹を植栽し爛漫の春に謳い玲瓏の秋を愛でし若武者の姿、今や無し同窓相寄り昭和四十八年校史「山紫に水清き」編纂して事蹟を誌すも杜の都を心の故郷と慕う、情やみ難く開校八十年再建四十年を卜し英霊の誠を彰れし祖国の平和と繁栄を祈念して校跡に建碑す。
昭和五十二年五月
仙幼会
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(ツリガネニンジンの花)
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