世は団塊の世代の行動に大きな注目を寄せている。
何しろ、戦後のベビーブームと言われるようにその数が多く、学歴も持ち合わせ、ある程度の経済力を有しており、現代日本の社会を形作ってきた世代だからでもある。
この団塊の世代が退職後にはどういった動きをするか、とりわけ観光振興を目指す分野の方々にとっては大いに気になるところであろう。
ところで、日本民俗学の発展に大きな足跡を残した人物に、宮本常一(1907年~1981年)という方がいる。
その彼が、15歳で大正12年(1923年)4月に故郷の山口県周防大島を離れるときに、父親の善十郎さんがこれだけは忘れぬようにと十カ条のメモをとらせたそうである。
その内容を、佐野眞一著『宮本常一と渋沢敬三「旅する巨人」』(文藝春秋刊)からそのまま転記する。
①
汽車に乗ったら窓から外を良く見よ。田や畑に何が植えられているか、育ちが良いか悪いか。村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうところをよく見よ。
駅に着いたら人の乗り降りに注意せよ。そして、どういう服装をしているかに気をつけよ。また駅の荷置き場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
②
村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ登って見よ。そして方向を知り、目立つものを見よ。
峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮やお寺や目につくようなものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ず行って見ることだ。高い所でよく見ておいたら道にまようことはほとんどない。
③
金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
④
時間のゆとりがあったらできるだけ歩いてみることだ。いろいろなことを教えられる。
⑤
金というものは儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
⑥
私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえに何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十をすぎたら親のあることを思い出せ。
⑦
ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻って来い。親はいつでも待っている。
⑧
これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
⑨
自分でよいと思ったことはやってみよ。それで失敗したからといって親は責めはしない。
⑩
人の見のこしたものを見るようにせよ。そのなかにいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
これに続けて、佐野眞一さんは次のようにも書いている。
“高等教育を受けたわけでもない父が、どうしてこれだけの教訓を垂れることができたか、宮本には不思議だったが、旅の暮らしのなかで身につけた父の人生訓らしきことは、子供心にもぼんやりわかった。”
なんてすばらしい教えなんだろうとつくづく思う。
長い年月を経た今も、そのみずみずしさは衰えてはいない。
“親が子に伝える人生訓”として、また“人生訓を語る親としてのあり方”を考えさせられるのはもちろんであるが、わたしたちが“旅するときに持つべき心構え”として、さらには“旅人が何に注目するか”ということについても、この十カ条はとても大切なことを教えてくれている。
いま話題の団塊の世代は、この十カ条の教えには大いに共鳴するに違いない。
その彼らの旅は、“金満の旅”ではけっしてないだろう。
団塊の世代を呼び込もうとキャンペーンが繰り広げられているようだが、ピントがずれているように思えてならない。
そうした大宣伝に金と時間と労力をかける前に、日々の生活を心豊かに送れるように自分たちの地域を形成していく、“味のある地域”になっていくことこそ採るべき大事な取組だと、わたしは思いを強くしているのだが・・・。
トップの写真:蔵王酪農センター(ハートランド)から晩秋の蔵王連峰を望む
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