旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

これまでの話・これからの話

2009-08-24 23:50:24 | 日々雑感
どう思い起こしてみても、自分の高校生活にこれといったものが出てこない。

かの有名歌手の『高校三年生』や『学園広場』は、歳月を越え、広く共感を得て歌い継がれているが、わが身に照らすと“それはやはり歌の世界!”となる。

いつも下ばっかり見て歩いたせいか上野坂(うわのさか)の道端の小石や砂ぼこりに白く覆われた草々が、つい眼に浮かんでくる。
どうやら、私は大分いじけた性分のまま通学していたようだ。

   
高校一年生のときのこと。現代国語を担当する丹野先生は、しばしば授業に先立ち黒板に詩を書いた。
中原中也の「汚れつちまつた悲しみに…」が最初だったと思う。
先生ご推奨のマルタン・デュ・ガール作『チボー家の人々』は、三年生の秋ごろ、町の本屋さんでやっと購入することができ、受験勉強そっちのけで読みふけった。
また、大学入試間近には、立原道造の詩「のちのおもひに」を暗唱するようにと勧められ、ならば他にもと文庫本の詩集を片手に夢中になったりもした。


私の本好きは、こうして作られてきたらしい。

なけなしの金で購入したものは、やはり捨てられない。
「家が狭くなる」「ジャマ」などと家族から冷たくあしらわれても、今も大切に持っている。
ということは、わが高校生活はきっとそれなりに充実していたと言うべきなのだろう。


「未来を見通すには歴史に学べ」「矢を遠くまで飛ばそうとするなら、弓は引け」の教えや喩えではないが、自分なりに将来を探る上で、過ぎ越し日々を振り返ることは大事なはず。
そういう目線に立つと、もともと同窓会での“思い出語り”は、“これから語り”と同じものであったと気づかされる。


今年の仙台支部の総会は、9月12日(土)に開催される。

参加者一人ひとりが元気になっていくこと、それが母校の元気の源。
そんな願いを持ちながら、明るい“これから”のために、前向きな“これまで”の話をたくさん聞きたいと思っている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日もまた殺生をしてしまった | トップ | 山の神に会う。そして小野小... »

コメントを投稿

日々雑感」カテゴリの最新記事