今日は、旧小坂邸緑地経由で砧公園先のサイクルショップまで徒歩で往復(8.1㎞超)してきた。
天気も良いので、花見を兼ねて、岡本八幡神社~旧小坂邸緑地~砧公園~大蔵運動公園~仙川沿道とまわる。
まずは、岡本八幡神社にお参り。
森の小道気分を味わいたくて社殿背後の小社も回る。
(岡本八幡神社の階段 画像は上から撮ったもの。)
(岡本八幡神社 画像左側には天満宮がある。)
いつもならここから静嘉堂文庫の庭と緑地を経由して旧小坂邸緑地に行くのだが、あいにく静嘉堂文庫は閉館中のようで、裏門は閉まっていた。
(静嘉堂文庫の裏道のヤマブキ)
期待していた旧小坂邸緑地のカタクリは、花が終わっていた。
それに盗掘にあったわけではないだろうが、数自体が激減。
スミレもあまり見栄えしない。
「地獄の釜の蓋」だけはしっかり地面に広がっていた。
(旧小坂邸緑地のヤマブキ)
(タチツボスミレ)
(キランソウ 金瘡小草 別名:地獄の釜の蓋)
薬草として優れているので、地獄の釜に蓋をしてしまうようなものだということから。
砧公園に移る。
園内にはたくさんの人たちがいた。
(フクロクジュ 福禄寿)
(フクロクジュ 福禄寿)
(ミクルマガエシ 御車返し)
(ミクルマガエシ咲く路)
(タイハク 太白)
(フゲンゾウ 普賢象)
(カンザン 関山)
(カンザン咲く路)
(桃のゲンペイシダレ 源平枝垂れ)
(ゲンペイシダレ)
この後は、サイクルショップへ。
この店で購入した幼児用自転車の部品が欲しかった。
しかし、商品の値段を見て、”これならネットの方が安い”と買うのをやめた。
※事前のネットなどの確認は大事。
だいぶ前のことになるが、家電量販店のネットショップ掲載商品の値段が、その店の実物展示品よりも安いことを店員に伝えたら、店頭価格を値引きしてくれた。
大蔵運動公園に行く途中、コンビニに立ち寄って昼食を購入。
家を出るときには、砧公園の”サクラの花の下”で昼寝でもと思い、少し大きなレジャーシートを持ってきていたが、結局のところベンチに座りオニギリをむさぼって終わりとなった。
帰りは、区立図書館に寄って『西行』(白洲正子著 新潮社版)と『梁塵秘抄』(榎克朗校注 新潮社版)を借りてきた。
ところで、西行の有名すぎる次の歌のこと。
ねがわくは花の下にて春死なん
そのきさらぎの望月の頃
その如月の望月とは、釈迦入滅の陰暦2月15日の満月のこと。
西行は建久元(1190)年2月16日に没していることもあってか、この歌が西行辞世の歌と今に伝わり紹介されたりしているが、それは違う。
この歌がいつ詠まれたかは不明。
天気も良いので、花見を兼ねて、岡本八幡神社~旧小坂邸緑地~砧公園~大蔵運動公園~仙川沿道とまわる。
まずは、岡本八幡神社にお参り。
森の小道気分を味わいたくて社殿背後の小社も回る。
(岡本八幡神社の階段 画像は上から撮ったもの。)
(岡本八幡神社 画像左側には天満宮がある。)
いつもならここから静嘉堂文庫の庭と緑地を経由して旧小坂邸緑地に行くのだが、あいにく静嘉堂文庫は閉館中のようで、裏門は閉まっていた。
(静嘉堂文庫の裏道のヤマブキ)
期待していた旧小坂邸緑地のカタクリは、花が終わっていた。
それに盗掘にあったわけではないだろうが、数自体が激減。
スミレもあまり見栄えしない。
「地獄の釜の蓋」だけはしっかり地面に広がっていた。
(旧小坂邸緑地のヤマブキ)
(タチツボスミレ)
(キランソウ 金瘡小草 別名:地獄の釜の蓋)
薬草として優れているので、地獄の釜に蓋をしてしまうようなものだということから。
砧公園に移る。
園内にはたくさんの人たちがいた。
(フクロクジュ 福禄寿)
(フクロクジュ 福禄寿)
(ミクルマガエシ 御車返し)
(ミクルマガエシ咲く路)
(タイハク 太白)
(フゲンゾウ 普賢象)
(カンザン 関山)
(カンザン咲く路)
(桃のゲンペイシダレ 源平枝垂れ)
(ゲンペイシダレ)
この後は、サイクルショップへ。
この店で購入した幼児用自転車の部品が欲しかった。
しかし、商品の値段を見て、”これならネットの方が安い”と買うのをやめた。
※事前のネットなどの確認は大事。
だいぶ前のことになるが、家電量販店のネットショップ掲載商品の値段が、その店の実物展示品よりも安いことを店員に伝えたら、店頭価格を値引きしてくれた。
大蔵運動公園に行く途中、コンビニに立ち寄って昼食を購入。
家を出るときには、砧公園の”サクラの花の下”で昼寝でもと思い、少し大きなレジャーシートを持ってきていたが、結局のところベンチに座りオニギリをむさぼって終わりとなった。
帰りは、区立図書館に寄って『西行』(白洲正子著 新潮社版)と『梁塵秘抄』(榎克朗校注 新潮社版)を借りてきた。
ところで、西行の有名すぎる次の歌のこと。
ねがわくは花の下にて春死なん
そのきさらぎの望月の頃
その如月の望月とは、釈迦入滅の陰暦2月15日の満月のこと。
西行は建久元(1190)年2月16日に没していることもあってか、この歌が西行辞世の歌と今に伝わり紹介されたりしているが、それは違う。
この歌がいつ詠まれたかは不明。
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