伊達政宗公の長女・五郎八(いろは)姫のお霊屋落成、今日が命日にあたる紅蓮尼供養、東日本大震災犠牲者の慰霊と『みやぎ街道交流会』高倉淳前会長の3回忌供養を兼ねたツアーイベントに参加してきた。
主 催 松島湾地域連携交流会(主管:おくの細道松島海道、NPOみなとしおがま、多賀城市史跡案内サークル)
共 催 みやぎ街道交流会
参加者 51名
行 程 JR仙石線多賀城駅出発→(バス2台)→多賀城碑(壷の碑)→末の松山
→亀井邸(昼食・塩竈芸妓踊り観賞)→松尾芭蕉宿泊地(治兵衛宅)・お釜神社
→マリンゲート塩竈→(乗船・松島湾内遊覧芭蕉コース)→松島の芭蕉宿泊宿・久之助宅
→紅蓮尼・小太郎慰霊碑→天麟院(こうれん煎餅賞味休憩・与謝蕪村描画観賞)
→五郎八姫お霊屋→雄島(頼賢の碑・芭蕉等句碑)→(乗船・湾内クルーズ、灯篭流し、夕食懇談)
(出発:11:30、終了:19:30過ぎ)
いただいた資料は、長年にわたる調査研究の成果が凝縮されたA4版40ページにもなる垂涎もの。
(きちんと読みこなすには相応の覚悟が必要とさえ思えてくる。)
とにもかくにも、それはそれは濃密な内容のツアーだった。
地元を愛し、誇りとする方々だからこそ実現できることだと痛感した1日だった。
準備に当たられてきた主催者の皆さん、案内していただいた方々、亀井邸スタッフ、天麟院のご住職、船の関係者の皆さんに心から感謝申し上げます。


壷の碑(多賀城)

末の松山(多賀城)

踊り観賞(塩竈 亀井邸)

「芭蕉止宿の地」案内板のある塩竈神社への道(塩竈)

お釜神社(塩竈)

松島湾内クルーズ(手漕ぎ舟で芭蕉がたどったと思われるコースに沿って航行)

馬の背(こちらもご覧ください。)



雄島(松島)

五大堂と福浦島(松島)

紅蓮尼碑

いぶき(柏槙・樹齢700年以上と言われる)

いぶきの根元のシュウカイドウ

天麟院

天麟院本堂内に置かれた杉板戸の竹図(与謝蕪村直筆か確認中)

五郎八姫仮お霊屋(今日が初開廟)

お霊屋脇にある天麟院洞窟群
(この石窟には政宗4男 伊達三河守宗泰の供養塔を中心に10人の殉死者の供養塔が置かれている)

雄島への渡月橋

頼賢の碑(頼賢は、22年間この島から出ることなく修行に励んだという。詳細はこちら。)

『頼賢の碑』横の石塔
(穿かれた穴は海底にまでつながっており、供養の毛髪(特に女性のもの)が納められているという)


餐霞亭主墓碑(詳細はこちら)

雄島で最も古い建立とされる板碑

晩餐・灯篭流しクルーズの船

天麟院ご住職による読経の後、参加者による焼香、流される灯篭
※ 雄島と「頼賢の碑」などについては ⇒ こちらをご覧ください。
※ だいぶ前に「松島から人工の音を消すプロジェクトを」などと書いたが、今日は耳障りな音楽などがいっさい流されておらず、静かで落ち着いたまさに霊場松島の趣きでとても良かった。
主 催 松島湾地域連携交流会(主管:おくの細道松島海道、NPOみなとしおがま、多賀城市史跡案内サークル)
共 催 みやぎ街道交流会
参加者 51名
行 程 JR仙石線多賀城駅出発→(バス2台)→多賀城碑(壷の碑)→末の松山
→亀井邸(昼食・塩竈芸妓踊り観賞)→松尾芭蕉宿泊地(治兵衛宅)・お釜神社
→マリンゲート塩竈→(乗船・松島湾内遊覧芭蕉コース)→松島の芭蕉宿泊宿・久之助宅
→紅蓮尼・小太郎慰霊碑→天麟院(こうれん煎餅賞味休憩・与謝蕪村描画観賞)
→五郎八姫お霊屋→雄島(頼賢の碑・芭蕉等句碑)→(乗船・湾内クルーズ、灯篭流し、夕食懇談)
(出発:11:30、終了:19:30過ぎ)
いただいた資料は、長年にわたる調査研究の成果が凝縮されたA4版40ページにもなる垂涎もの。
(きちんと読みこなすには相応の覚悟が必要とさえ思えてくる。)
とにもかくにも、それはそれは濃密な内容のツアーだった。
地元を愛し、誇りとする方々だからこそ実現できることだと痛感した1日だった。
準備に当たられてきた主催者の皆さん、案内していただいた方々、亀井邸スタッフ、天麟院のご住職、船の関係者の皆さんに心から感謝申し上げます。


壷の碑(多賀城)

末の松山(多賀城)

踊り観賞(塩竈 亀井邸)

「芭蕉止宿の地」案内板のある塩竈神社への道(塩竈)

お釜神社(塩竈)

松島湾内クルーズ(手漕ぎ舟で芭蕉がたどったと思われるコースに沿って航行)

馬の背(こちらもご覧ください。)



雄島(松島)

五大堂と福浦島(松島)

紅蓮尼碑

いぶき(柏槙・樹齢700年以上と言われる)

いぶきの根元のシュウカイドウ

天麟院

天麟院本堂内に置かれた杉板戸の竹図(与謝蕪村直筆か確認中)

五郎八姫仮お霊屋(今日が初開廟)

お霊屋脇にある天麟院洞窟群
(この石窟には政宗4男 伊達三河守宗泰の供養塔を中心に10人の殉死者の供養塔が置かれている)

雄島への渡月橋

頼賢の碑(頼賢は、22年間この島から出ることなく修行に励んだという。詳細はこちら。)

『頼賢の碑』横の石塔
(穿かれた穴は海底にまでつながっており、供養の毛髪(特に女性のもの)が納められているという)


餐霞亭主墓碑(詳細はこちら)

雄島で最も古い建立とされる板碑

晩餐・灯篭流しクルーズの船

天麟院ご住職による読経の後、参加者による焼香、流される灯篭
※ 雄島と「頼賢の碑」などについては ⇒ こちらをご覧ください。
※ だいぶ前に「松島から人工の音を消すプロジェクトを」などと書いたが、今日は耳障りな音楽などがいっさい流されておらず、静かで落ち着いたまさに霊場松島の趣きでとても良かった。
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