2018.02.26(月)、元禄潜穴工事の悲話の地を訪れた。
ついでに、高城川の河口と松島湾内の福浦島にも久しぶりに立ち寄ってきた。
元禄潜穴工事指揮者だった大越喜右衛門は、仙台藩主一行の現場視察を混乱させたとして、自刃して果てた。
それは、責任の沙汰が問われる前のことだった。
また大越の部下6名も、大越の後を追った。
かれらの亡骸は、後難を恐れてか数日のあいだ野ざらしのまま放置された。
その後、彼らを哀れに思った近くの人たちによって土まんじゅうの下に埋葬された。
そしていつしか人々は、ここをお墓山と呼ぶようになったという。
※大越喜右衛門については ⇒ こちら
※元禄潜穴については ⇒ こちら
そのような話が伝わるお墓山を再訪してきた。
場所は、明治潜穴吐口のところから入った長松園森林公園町民の森の奥まったところ。
公園の駐車場に車を置き、カメラだけを持ち、スニーカー履きで歩き出した。
ところが、センターロッジ裏の雪の斜面に丸い足跡が・・・!
それもここ数日間にできたもののようだ。
人間ならばこんな歩きはしないはず。
(センターロッジ裏の足跡)
お墓山への道の入り口には、町内に熊出没があるためチェーンが張られ、通行止めになっている。
これは用心に越したことはないと車に戻り、クマよけ鈴、笛、ストックを持ち出し、長靴に履き替えた。
(いつもの山行と同じスタイル)
今日の公園内を歩く者は、わたし一人のようでもある。
チェーンの脇を抜けて雪の残る坂を下ると、目に飛び込んだ怖い絵。
気を引き締めなおして、先に進んだ。
(前方は松島町林業体験施設。お墓には、この分岐を右折。)
あづま屋のある展望台に到着。
(ここの展望台は、木々の背丈が伸びてきたのであまり眺望は良くない。)
(展望あづま屋)
脇の分岐を赤井家の墓所側に向かう。
すぐに、お地蔵様がポツンとのっている土まんじゅうが見えてくる。
ここが大越喜右衛門と彼の同志の墓とされている。
(大越喜右衛門等の墓とされる土まんじゅう)
品井沼の見える方角に埋葬されたというが、周囲の木立でその眺望は得られない。
合掌!!
あづま屋まで戻り、せっかくの機会なので別ルートを戻ることにした。
スギとヒノキの混合林を下る。
道はとても歩きやすい。
すぐに車のわだちがのこる広い道に出た。
右が広葉樹の森への道とあるが、今回はロッジへの方を選択。
(林業体験施設わきの『いこいの広場』にあった案内板の図を拡大。右上の赤丸がお墓のあるところ。)
車に戻る前に、猿田彦命神社にも寄ってみた。
(由来書き)
*
次は、高城川の河口に向かう。
しかし、松洲荘わきは高い護岸があるので即断念し、福浦島側から眺めることにした。
*
遊覧船乗り場脇の駐車場に車を置き、福浦島へ。
通行料200円。
無料休憩スペースもある建物を抜けるのだが、観光地ではよく見かける”呼び込み”声がかかるお土産屋さんの中を通るといったことが無いので、とても良い。
島へは、平日にも関わらずけっこうな数の人たちが渡って行く。
こちらは独り。
できれば静かな歩きをしたい。
案内図を眺め、その方々とは逆回りをたどることにした。
(歩いたコース)
(かやの崎)
(多目的広場)
(多目的広場の端にあるとても太いフジの棚。花の季節は見事なことだろう。)
(天神崎)
(天神崎から高城川河口の方角を眺める。)
(あづま屋。若いカップルがいたので、素通りした。)
(見晴台)
(遊歩道わきに浜に下りる道があったので行ってみた。)
(下りた浜辺で見晴台方向を眺める。)
(松島海岸の方角)
(窟屋:中の広さは3畳ほど。これならここで寝泊まりもしてみたくなる。)
(弁財天)
(格子などにおかれたたくさんのダルマさん)
(トイレ棟:水道凍結のため使用禁止になっていた。)
(休憩所)
(橋のたもとまで戻る。)
(見飽きることのない浸食された凝灰岩)
(福浦橋の上から眺める雄島。餐霞亭主墓碑が確認できる。)
※餐霞亭主墓碑については ⇒ こちら
駐車した地点から橋を渡り、島内を周回して戻った時間と距離は、約1時間半、3.3㎞だった。
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