わらじ村長で有名な鎌田三之助翁。三世代にわたって生涯をかけた品井沼の干拓。
国際貿易港をめざす野蒜築港の設計に当たったセ・イ・ファン・ドールンは、明治12~15年(1879~1882年)にこの品井沼の調査測量に就いた。
そして、品井沼の水を排水するには、隧道を(ずいどう)を12条整備する必要があり、総工事費は干拓によって得られる利益総額よりも大になると試算している。
その時の復命書が、宮城県公文書館に残されている。
今日は天気が荒れたのでどこにも行けず、だいぶ前に撮影しておいた復命書の画像からの文字起しをした。
再精査の上、後日『不撓不屈 品井沼干拓300年-元禄潜穴・明治潜穴・わらじ村長鎌田三之助-』に追加資料として掲載するつもりでいる。
国際貿易港をめざす野蒜築港の設計に当たったセ・イ・ファン・ドールンは、明治12~15年(1879~1882年)にこの品井沼の調査測量に就いた。
そして、品井沼の水を排水するには、隧道を(ずいどう)を12条整備する必要があり、総工事費は干拓によって得られる利益総額よりも大になると試算している。
その時の復命書が、宮城県公文書館に残されている。
今日は天気が荒れたのでどこにも行けず、だいぶ前に撮影しておいた復命書の画像からの文字起しをした。
再精査の上、後日『不撓不屈 品井沼干拓300年-元禄潜穴・明治潜穴・わらじ村長鎌田三之助-』に追加資料として掲載するつもりでいる。
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