西部丘陵は強風が吹いていそうなので、東部の海岸沿いを歩いてきた。
コースは、松島四大観の富山・大高森・扇谷・多聞山と東松島市野蒜の不老山、鷺ノ巣岩、東名運河。
※ 不老山、鷺ノ巣岩、東名運河、野蒜水門については別途掲載の予定です。
できれば日の出も見たいと思い、我が家を朝5時に出発。
利府街道~三陸道を利用し、最初の富山観音堂の登り口に到着したのが6時。
風は冷たく強い。
【麗観 富山(とみやま)】 標高 116.8m
けっこう長いがゆるやかな上りの階段状の参道を行くと、色鮮やかな朱色の観音堂と鐘楼(県指定文化財)、仁王門、東屋があった。
ここの観音堂は、坂上田村麻呂が大同年間(806~810)に慈覚大師作の観音菩薩像を安置したと伝えられているとのこと。
せっかくなので、その下側にある瑞巌寺第100世洞水和尚が開山したという臨済宗大仰寺も覗くことにした。
入庭料100円をボックスに投入。
しかし、太陽は木立の向こうから昇るので期待外れ。
東屋に戻ってしばし眺望を楽しんだ。
▲駐車スペース
▲左:仁王門、中央:観音堂 右:鐘楼
▲展望東屋
▲大仰寺の境内
▲入口の入庭料案内
▲展望台からの眺望
次は、東松島市の奥松島にある大高森へ。
【壮観 大高森】 標高 105.8m
こちらはこれまで何度も訪れている場所。
少し風の強い展望台から彼方の泉ヶ岳などを眺め、薬師堂をまわって戻ってきた。
▲山頂の展望台
▲泉ヶ岳方向を遠望
▲野蒜海岸(防潮堤や地盤かさ上げ工事が進められている。)
▲大高森薬師堂
次は、野蒜海岸の鷺ノ巣岩、不老山、東名運河を巡る(後日掲載予定)。
そして来た道を仙台方向に戻って扇谷へ。
【幽観 扇谷(おうぎだに)】 標高 55.8m
扇谷は、この山谷の静寂を愛した瑞巌寺第99世の雲居希膺(うんごきよう)が寛永14年(1637)に座禅堂を構えて以来、明治期に至るまで寺院があったと伝えられているところ。
明るいアカマツ林の林床を眺めながら石の階段状の道を上るとすぐに岩窟前に着いた。
中に3体の石像が安置されている。
その上側には金翅堂(こんじどう)。
「幕末に著された『奥州名所図会』に拠れば、元禄8年(1695)瑞巌寺第101世鵬雲東搏禅師(ほううんとうばくぜんじ)が堂を造営し、中央に聖徳太子、左に緋衣(ひえ)の達磨像、右に鵬雲像を安置したと記す。」と案内板に書かれていた。
この堂の脇にはドーンと達磨様の石像が座っている。
東屋からの景色をひとしきり眺め、せっかくなので“絆の森”への道を奥に進んでみた。
▲金翅堂
▲東屋
▲東屋からの眺望
▲絆の森への道(歩いてきた道)
▲絆の森入口
次は、七ヶ浜町の多聞山へ。
ここまでの途中、陸前浜田を過ぎたあたりから塩釜市街を抜けるまで渋滞が続いた。
【偉観 多聞山(たもんざん)】 標高 55.6m
着いたのが午後1時前だったので、駐車場には車内で昼休みしている人がけっこういた。
ここも何度か訪れているところ。
すぐに社のある端まで下りる。
風がとても強く、カメラのファインダー越しにピントを合わせるのも難しい。
なので、適当にシャッターを押し撮影。
早々の退散となった。
コースは、松島四大観の富山・大高森・扇谷・多聞山と東松島市野蒜の不老山、鷺ノ巣岩、東名運河。
※ 不老山、鷺ノ巣岩、東名運河、野蒜水門については別途掲載の予定です。
できれば日の出も見たいと思い、我が家を朝5時に出発。
利府街道~三陸道を利用し、最初の富山観音堂の登り口に到着したのが6時。
風は冷たく強い。
【麗観 富山(とみやま)】 標高 116.8m
けっこう長いがゆるやかな上りの階段状の参道を行くと、色鮮やかな朱色の観音堂と鐘楼(県指定文化財)、仁王門、東屋があった。
ここの観音堂は、坂上田村麻呂が大同年間(806~810)に慈覚大師作の観音菩薩像を安置したと伝えられているとのこと。
せっかくなので、その下側にある瑞巌寺第100世洞水和尚が開山したという臨済宗大仰寺も覗くことにした。
入庭料100円をボックスに投入。
しかし、太陽は木立の向こうから昇るので期待外れ。
東屋に戻ってしばし眺望を楽しんだ。
▲駐車スペース
▲左:仁王門、中央:観音堂 右:鐘楼
▲展望東屋
▲大仰寺の境内
▲入口の入庭料案内
▲展望台からの眺望
次は、東松島市の奥松島にある大高森へ。
【壮観 大高森】 標高 105.8m
こちらはこれまで何度も訪れている場所。
少し風の強い展望台から彼方の泉ヶ岳などを眺め、薬師堂をまわって戻ってきた。
▲山頂の展望台
▲泉ヶ岳方向を遠望
▲野蒜海岸(防潮堤や地盤かさ上げ工事が進められている。)
▲大高森薬師堂
次は、野蒜海岸の鷺ノ巣岩、不老山、東名運河を巡る(後日掲載予定)。
そして来た道を仙台方向に戻って扇谷へ。
【幽観 扇谷(おうぎだに)】 標高 55.8m
扇谷は、この山谷の静寂を愛した瑞巌寺第99世の雲居希膺(うんごきよう)が寛永14年(1637)に座禅堂を構えて以来、明治期に至るまで寺院があったと伝えられているところ。
明るいアカマツ林の林床を眺めながら石の階段状の道を上るとすぐに岩窟前に着いた。
中に3体の石像が安置されている。
その上側には金翅堂(こんじどう)。
「幕末に著された『奥州名所図会』に拠れば、元禄8年(1695)瑞巌寺第101世鵬雲東搏禅師(ほううんとうばくぜんじ)が堂を造営し、中央に聖徳太子、左に緋衣(ひえ)の達磨像、右に鵬雲像を安置したと記す。」と案内板に書かれていた。
この堂の脇にはドーンと達磨様の石像が座っている。
東屋からの景色をひとしきり眺め、せっかくなので“絆の森”への道を奥に進んでみた。
▲金翅堂
▲東屋
▲東屋からの眺望
▲絆の森への道(歩いてきた道)
▲絆の森入口
次は、七ヶ浜町の多聞山へ。
ここまでの途中、陸前浜田を過ぎたあたりから塩釜市街を抜けるまで渋滞が続いた。
【偉観 多聞山(たもんざん)】 標高 55.6m
着いたのが午後1時前だったので、駐車場には車内で昼休みしている人がけっこういた。
ここも何度か訪れているところ。
すぐに社のある端まで下りる。
風がとても強く、カメラのファインダー越しにピントを合わせるのも難しい。
なので、適当にシャッターを押し撮影。
早々の退散となった。
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