荒吐(アラバキ)ロックフェスティバルに行く家族の送迎で、みちのく杜の湖畔公園まで往復してきた。
東京に住んでいる家族4人は、とても楽しみにしていたらしい。
しかし、あいにく天気は芳しくなく、雨交じりの強い風。
それに気温も低い。
いっぱい着込んで会場に向かっていった。
こちらは、その後一人で山へ。
前回諦めた釜房山(384.8m)に登って来た。
※前回諦めたときの記事は ⇒ こちら
この山は、現在北側登山口からの道が崩落のため通行禁止になっている。
したがって一周することはできない。
南側登山口からの道は、やや傾斜の厳しいところを行く。
そこにあったのが「いろは坂」の標識。
「い」から始まり、順にある。
小気味よいジグザグ道を休みながら登ること約45分。
頂上はちょっとした平場。
鳥居と石碑が立っている。
三角点は、その脇にある。
眺望は、まるでダメ。
北側への道にはロープが張られて、“通行禁止”。
さしたる楽しみも味わえずに、すぐに戻ってきた。
▲釜房山
▲南側登山口(電柱の脇)
▲いろは坂
▲ヒトリシズカ(群生していても一人静!?)
▲ヤマブキ
▲釜房山の頂上
▲通行禁止のロープが張られている
▲駐車場からの釜房ダム湖の眺望
*
ところで、「いろは歌」とは次のようなもの。
これは、『涅槃経(ねはんぎょう)』「聖(しょう)行品(ぎょうぼん)」の4句の偈文で、いわゆる「施身聞偈(せしんもんげ)」を今様風に和述したもの。
*
これにまつわるお経の話は・・・、
*
バラモンの雪山童子(前世の釈尊)が雪山(ヒマラヤ)で衆生利益のために苦行をしていた。そのとき羅刹(らせつ)が現れ、「諸行無常 是生滅法」と前半の偈を高らかに唱えた。
これを聞いた童子は、後の半分の偈をぜひ聞きたいと懇願した。すると羅刹は「私は腹が減っている。私の食べ物は人肉で、飲み物は血だ。お前を食べていいのなら、後の半偈を聞かせてやろう」と言った。
後の半偈を聞き終わった童子は、その偈を辺りの岩や壁や木に書きつけて、約束通り自分の身体をあげるために高い木に登り身を投げた。
これを見た羅刹は帝釈天に戻って空を飛び、童子が落ちる寸前に受け止めて地上に置き、「あなたは真の菩薩です。将来あなたが悟られた時は、ぜひ私をお救いください。」とひれ伏したというもの。
東京に住んでいる家族4人は、とても楽しみにしていたらしい。
しかし、あいにく天気は芳しくなく、雨交じりの強い風。
それに気温も低い。
いっぱい着込んで会場に向かっていった。
こちらは、その後一人で山へ。
前回諦めた釜房山(384.8m)に登って来た。
※前回諦めたときの記事は ⇒ こちら
この山は、現在北側登山口からの道が崩落のため通行禁止になっている。
したがって一周することはできない。
南側登山口からの道は、やや傾斜の厳しいところを行く。
そこにあったのが「いろは坂」の標識。
「い」から始まり、順にある。
小気味よいジグザグ道を休みながら登ること約45分。
頂上はちょっとした平場。
鳥居と石碑が立っている。
三角点は、その脇にある。
眺望は、まるでダメ。
北側への道にはロープが張られて、“通行禁止”。
さしたる楽しみも味わえずに、すぐに戻ってきた。
▲釜房山
▲南側登山口(電柱の脇)
▲いろは坂
▲ヒトリシズカ(群生していても一人静!?)
▲ヤマブキ
▲釜房山の頂上
▲通行禁止のロープが張られている
▲駐車場からの釜房ダム湖の眺望
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ところで、「いろは歌」とは次のようなもの。
これは、『涅槃経(ねはんぎょう)』「聖(しょう)行品(ぎょうぼん)」の4句の偈文で、いわゆる「施身聞偈(せしんもんげ)」を今様風に和述したもの。
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これにまつわるお経の話は・・・、
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バラモンの雪山童子(前世の釈尊)が雪山(ヒマラヤ)で衆生利益のために苦行をしていた。そのとき羅刹(らせつ)が現れ、「諸行無常 是生滅法」と前半の偈を高らかに唱えた。
これを聞いた童子は、後の半分の偈をぜひ聞きたいと懇願した。すると羅刹は「私は腹が減っている。私の食べ物は人肉で、飲み物は血だ。お前を食べていいのなら、後の半偈を聞かせてやろう」と言った。
後の半偈を聞き終わった童子は、その偈を辺りの岩や壁や木に書きつけて、約束通り自分の身体をあげるために高い木に登り身を投げた。
これを見た羅刹は帝釈天に戻って空を飛び、童子が落ちる寸前に受け止めて地上に置き、「あなたは真の菩薩です。将来あなたが悟られた時は、ぜひ私をお救いください。」とひれ伏したというもの。
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