今日も散歩の途中で手を合わせた。
連日の梅雨空でみずみずしい草に覆われた多摩川土手の野仏さま。
いつ、どなたが、なぜここに安置したのか推し量るべくもないが、真ん中に置かれたありふれたくぼみを持つ石。
でも、確かに石仏のように見えてくる。
荒川じんぺいさんのエッセイに『森に住んだ観音さま』というのがある。
ある時、夫婦でドライブをした際に、奥様が河原で赤さびたラグビーボール大の石のような塊を見つけ、それを週末に山暮らしする自宅に持ち帰った。
そしてこれが観音像で、それまでの作者の「こだわり」人生を清算する機会となったのだという。
心安らぐ、本の帯にある通り”珠玉のエッセイ”だと、私は思っている。
多摩川土手の石仏は、“川に住む”観音さまと言えなくもないが、今日もわたしにいろいろな思いを呼び覚ましてくれる。
その野仏さまの近くには、まだヤブカンゾウが咲いていた。
ヤブカンゾウ(藪甘草、萱草、忘れ草):ユリ科ワスレグサ属 多年草
古来、中国では、この草を着物などに結わえておくと、憂いを忘れると言い伝わる。
わすれ草垣(かき)もしみみに植ゑたれど醜(しこ)の醜草(しこくさ)なお恋ひにけり
万葉集 巻の第十二 3062 作者不明
~激しい恋の果てに破れ、昔から言い伝えのあるわすれぐさ(ヤブカンゾウ)を垣に植えてみたが、その効果はまるでなく、むしろ恋しさが募るばかりだ。ヤブカンゾウ、このみにくい花よ~ ※花に八つ当たりしている歌
萱草わが下紐に著けたれど醜(しこ)の醜草(しこぐさ)言(こと)にしありけり
万葉集 巻の第四 0727 大友家持
~萱草(忘れ草)を下着の紐に着けたが、忘れ草とは名ばかりで、ひどい草ではないか。(少しもあなたのことを忘れられないのだから。)
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