旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

松島(馬の背~雄島~名籠)

2013-08-18 22:52:32 | 水の道逍遥
東日本大震災で流失した霊場雄島の渡月橋が復旧し、平成25年7月1日に渡れるようになった。
早く行ってみなければと思いつつ過ごしてきたが、今日実行できた。



▲訪れた場所


▲馬の背・子馬


▲雄島


▲名籠


まずはJR仙石線陸前浜田駅の近くから国道45号を右折し、『馬の背・子馬』(利府町)を見に行く。
天気も良く、汗を拭きつつ、馬の背の突端まで行ってみる。
遊歩道入口の案内板には、「天然の桟橋と呼ばれ長年の波の浸食により今の形に」なったと記されている。
(注)”熊出没注意”の看板あり。ホントかな~。



▲馬の背


▲馬の背の突端


▲馬の背(子馬側からの眺望)


▲子馬への道(モミと松の林を行く)


▲子馬


▲子馬の付け根の断崖に咲くコオニユリの花


▲子馬(馬の背側からの眺望)



次は、本来目的その1の雄島。
真新しい渡月橋は、朱色が鮮やか。
多くの観光客が訪れている。

※ 雄島については ⇒ こちら



▲渡月橋と雄島


▲正一位御嶋瑱珠稲荷大明神


▲芭蕉と曾良の句碑(芭蕉は松島で句を詠んでいない。この句は別の場所でのもの)
 芭蕉翁 朝よさを誰まつ しまぞ片心   芭蕉 
 松島や 鶴に身を かれほととぎす    曾良 




▲ウミネコに餌をやるたくさんの観光船客








▲把不住軒(雲居禅師座禅堂跡)


▲頼賢碑(お堂の中に石碑がある)国重要文化財


▲餐霞亭主墓碑


※ 餐霞亭主墓碑については ⇒ こちら


ところで、松尾芭蕉は『おくのほそ道(奥の細道)』の中で、塩竈から舟で雄島磯に渡り、その後瑞巌寺を訪れたと記している。

しかし、この案内板には次のように掲載されている。
「元禄二年五月九日(一六八九・陽暦六月二十五日)、芭蕉は、塩釜から舟で松島海岸に着き、瑞巌寺に詣で、のち雄島を訪れたのである。」





この違いは、『おくのほそ道』が紀行文であり、印象深くするため、瑞巌寺→雄島を雄島→瑞巌寺と逆に記したことにあるとのこと(曾良の日記参照)。
したがって、案内板の方が真となる。



次は、本来目的其の2の東名水門遠望。
いつもは東名運河側から眺めていた水門を、今日は反対側から見たくて、名籠(なごめ)地区まで来た。
ここからかなりの距離にあり、蜃気楼のように見える。



▲東名水門(東名運河)


▲東名水門(ズーム)


▲八坂神社(名籠漁港脇の丘にある)


※ 東名水門については ⇒ こちら





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