一神教の神は唯一絶対神だが、日本の神は八百万の神々(便宜上「カミ」とする)である。なんで日本の先人は唯一絶対神の「神」と「カミ」を別の漢字にしなかったのかと疑問に思っていたが、外来の唯一絶対神をもその他大勢のひとりとしてしまうことで争いを防ぐ巧みな知恵だったかも、と最近は思う。
そもそも日本の神話というのは、会いにやってきた須佐之男命(弟)の暴れっぷりに嫌気がさした天照大神(姉)が岩穴に引きこもってしまい、みんなでお笑い芸をやって姉を引き出したのちに弟を追放したなどという威厳のないお話ばかりだから、唯一絶対神のような孤高の絶対性がない。
唯一絶対神はまさに絶対神だから、それこそ異教徒は殺せ、の厳格な世界だが、八百万の神々は最初から威厳もないし喧嘩も多いし、近年ではアニメキャラ化されてしまうほどのユルい世界観である。日本人はそのユルい世界観の中に“唯一絶対神”たちを並べてしまうのだから、深刻な争いになりにくい。
フランスではシャルリー・エブド襲撃事件が起きたりしたが、背景には自分の唯一絶対神は絶対だが、よその唯一絶対神はバカにするという風潮を感じる。日本の八百万の神々の世界では、よそ様の神様も神様だから拝まなくても丁重に扱うくらいの配慮はある。どんな神でも粗末にすると祟ると思っている。
戦国時代あたりから来日した宣教師たちは唯一絶対神であることを日本人に説明したはずだが、当時の日本人はとうとう唯一絶対神を意味する漢字を作り出さなかった。ゆえに、文字で「神」と書いてしまえば日本人の頭の中では八百万の神々のひとりくらいにしかならない。たぶん先人の知恵なんだと思う。