1937年12月に日本軍が当時の中華民国の首都・南京に侵攻した際に、南京のすぐ北側にある幕府山付近で第13師団隷下の山田支隊が多数の捕虜を捕らえた。この捕虜の多くが結果的に殺害されてしまった「幕府山事件」は、いわゆる“南京大虐殺”の中でも別に固有名詞が付くほどに特異な事案である。いまだに細部が不明瞭なため、論争になることも多い。
この記事は、論拠等の細かい情報は個別記事を参照してもらうことにして、幕府山事件と呼ばれている事件全体についての考察結果の概要を示す。 . . . 本文を読む
1937年12月に日本軍が当時の中華民国の首都・南京に侵攻した際に、南京のすぐ北側にある幕府山付近で第13師団隷下の山田支隊が多数の捕虜を捕らえた。この捕虜の多くが結果的に殺害されてしまった「幕府山事件」は、いわゆる“南京大虐殺”の中でも別に固有名詞が付くほどに特異な事案である。
本考察では、この幕府山事件全体の犠牲者数その他の数字の試算を行った。 . . . 本文を読む
1927年12月17日に発生した草鞋峡での事件について、NNNドキュメントや清水潔氏の著書に興味深い情報があったので、これを起点にして主に「計画的処刑説」の視点で検証してみる。 . . . 本文を読む
1927年12月17日に発生した草鞋峡での事件について、NNNドキュメントや清水潔氏の著書に興味深い情報があったので、これを起点にして主に「計画的処刑説」の視点で検証してみる。 . . . 本文を読む
2022.09.16 初版
検索の利便性を目的に、文献に登場する寄稿者/証言者の氏名と所属を一覧にして列挙する。
対象人物は、南京戦の時に南京にいた軍人や民間人(記者その他)などである。後世の論者は対象外。
なお、『証言による「南京戦史」』については、記事中に登場するタイトル、史料、図表名称なども併記する。()内は記事掲載ページ数を示し、人名等の記載の順序は記事中での登場順序のままである。
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いわゆる“南京大虐殺”についての私の一連の考察は以下の通り。
日英併記の概説版
The Fake of "Nanking Massacre”
http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/b9fce6b774ed768149eb86f4ddb29ad9
いわゆる“南京大虐殺”を網羅的に考察したシリーズの記事
《1》南京大虐殺の真相(要約版)
http: . . . 本文を読む
現在の中華人民共和国は、いわゆる“南京大虐殺”の犠牲者数として公式に「30万人」を掲げている。しかし、少なくとも過去には(あるいは今も?)もっと大きい数字も出回っている。そこで断片情報になるが、見つけた分をここに貼っておく。 . . . 本文を読む
幕府山の峰の北方にある「燕子磯(燕子矶)」という場所で、武装解除した兵士3万と市民2万が揚子江の北岸に逃れようとしたところを日本の陸海軍に殺害された、というような話がある。結論から先に書くと、これは上流の下関周辺から燕子磯に漂着した大量の遺体と、周辺地域でのエピソードの断片を組み合わせた虚構の殺戮事案である。 . . . 本文を読む
第13師団隷下の山田支隊が捕らえた多くの捕虜が結果的に殺害されてしまった「幕府山事件」は、いわゆる“南京大虐殺”の中でも別に固有名詞が付くほどに特異な事案である。いまだに細部が不明瞭なため、論争になることも多い。この記事では事件現場には立ち入らず、捕らえた捕虜を日本軍の中でどのように取り扱おうとしていたのかを中心に時系列を追って見ていくこととする。 . . . 本文を読む
状況証拠からすると、崇善堂の本来の埋葬数は下請けとして紅卍字会の埋葬記録に含まれているに過ぎなかったと思われる。しかし、戦後の東京裁判および南京軍事法廷に向けて、いわゆる“南京大虐殺”の犠牲者数の水増しをするために、元請けである紅卍字会の記録を遥かに凌駕する数字で崇善堂の埋葬記録を偽造したものと推測するしかない。 . . . 本文を読む