日本の安全保障のあり方について、
1)日米同盟(または西側)堅持、
2)中露陣営に鞍替え、
3)自主独立、
という選択肢の話が出回ってるが、実際にはそんなのは選択肢にならない。まず、3の自主独立も日米同盟破棄であり、潜在的には米国の敵になる可能性を秘めている。少なくとも米側はそう見る。
それは、今の韓国を見る米国の視線を考えればわかる。あるいは、鳩山内閣が長期間継続した場合に米国が日本 . . . 本文を読む
先日の金相場急落だが、詳細に見ると上海市場が開く1分前に仕掛けられたとの分析が出ている。そしてこれは、米国勢が金先物市場を利用して中国が売ったように見せかけて実はNYで売ったとの説が流れ始めた。そして、この論者はその理由をドルや米国債を守るためだ、としている。
しかし、金相場急落を仕掛けたのが米国勢だとしても、「中国は金を売らねばならないほど状況が悪い」と世界に印象付けるのが目的なら、その目的 . . . 本文を読む
第二次安倍政権での政治改革は明治維新、戦後の再出発に続く近代日本史における3度目の大転換点になると思う。大きなポイントは、安保法制や武器輸出等を活用して国際的政治力を発揮する国として脱皮しようとしていること。平和主義者がどう言おうが、国家間の力学の真実は軍事力である。
戦後の日本について一部の者は「アメリカの属国」などと言うが、あながち的外れでもない。アメリカが日本に一方的に安全保障サービ . . . 本文を読む
12月13日の南京陥落後の、主に14〜16日に城内に潜伏した敗残兵の掃討あるいは摘出が行われた。その際の人的被害の規模について、一連の考察を通して判明している数値に基づいて考察を行ってみる。 . . . 本文を読む
南京戦当時の図面など。
《南京城全景》
・城内で建物が密集しているのは中央部から南側の中華門にかけて。
・安全区(緑の枠)にはほとんど建物がない。外国公館、大学等の大きめの建物が点在するのみ。
・城外には建物は少ない。左上の下関、安全区左下の漢西門外、南の中華門外に少しあるのみ。
《下関〜宝塔橋街》
・城内最北端の獅子山のすぐ上が煤炭港。鉄道の引き込み線も見える。
・煤炭港 . . . 本文を読む
2022.09.17 タイトル等修正、4項に唐光譜の火事の話を追加
この記事は幕府山事件に関する地理的な考察に集約した。
《1. 幕府山事件とは》
幕府山事件とは、『戦史叢書 支那事変陸軍作戦<1>』から引用すれば、次のような出来事。
第十三師団において多数の捕虜を虐殺したと伝えられているが、これは15日、山田旅団が幕府山砲台付近で1万4千余を捕虜としたが、非戦闘員を釈放し、約8千 . . . 本文を読む
南京戦の際に、南京城の城門のひとつである太平門で市民らの虐殺があったとされているようだが、調べると極めて怪しい。結論として、“太平門虐殺”なるものは実態がなく、すべて戦闘行為による戦死者が400〜500名程度発生したと判断する。 . . . 本文を読む
1937年12月6日、湖山村に日本軍が侵入し不完全な統計によると64人が死亡し200以上の家屋が焼かれた、ということだが、戦闘詳報を丹念に追っていくと、その日時にはまだ日本軍は湖山村に進軍していない。撤退する中国兵による行為であることが疑われる。 . . . 本文を読む
中国語で南京大虐殺の「纪念碑」を紹介してるサイトがあった。これによると、南京周辺に22箇所の「纪念碑」がある。
以下に、ひとつずつチェックしていくが、結論的に言うとほとんどが根拠不明の的外れに見える。犠牲者数の大半は戦死なのに、それらも全て虐殺犠牲者としている。しかも、戦死と埋葬をダブルカウントしている。 . . . 本文を読む
最終更新:2017.02.25
“南京大虐殺”では日本兵の暴虐だけが話題になりやすいが、中国兵の残虐さについて語った資料も多い。
従って、市民犠牲者の一部は退却する中国兵の蛮行によるものと言える。
《A級極東国際軍事裁判記録》
A級極東国際軍事裁判記録(和文)(NO.84)(国立公文書館デジタルアーカイブ)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS . . . 本文を読む
2021.02.19 崇善堂の考察を別記事に
東京裁判にも提出された紅卍字会の埋葬記録について検証した。
法廷証番号326: 世界紅卍字会南京分会救援隊埋葬班埋葬死体数統計表
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10273906/1
《要点》
・特務機関員の丸山進氏は、紅卍字会の記録には水増しがあるとしたが、それらの項目は「埋葬」ではなく「水葬」。 . . . 本文を読む
日本軍が数千人の難民の中から2,800人の若者を連行し、煤炭港の倉庫に3日間監禁し、入城式のあった12月17日に朝から晩までかかってその2,800人を煤炭港の岸辺で銃殺したとする“煤炭港虐殺”なる事件は捏造と断定する。 . . . 本文を読む
最終更新:2017.03.03
12月13日いわゆる陥落日に、南京城から脱出して南下する中国軍部隊と、これらを包囲殲滅すべく北上する日本軍第6師団45連隊が揚子江岸の新河鎮で遭遇戦を展開した。
城門が陥落した十二月十三日、漢西門(西門)の西の揚子江に近い上河鎮で、第六師団第四十五連隊第十一中隊百六十名は、掃蕩のため下関へと北上中に、南下してきた逃走中の二万の中国兵に包囲され、中隊長の大薗尚 . . . 本文を読む