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差別とは人の営み

2016年10月10日 | 時事・雑文


昨今は差別糾弾があまりにも安易に乱用されすぎだ。嫌われた、文句言われた、サービスが過剰だった、名前を聞き違えた、程度で差別糾弾されたらたまらない。だから、深刻な差別騒動が起きたら「それのどこが人種差別に該当するのか?」と問い質すことにしようと思う。人種差別は安売りできない。

辞書によっても違うだろうが『差別』をひくと《 ある基準に基づいて,差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。》が先に出てくる。なんのことはない、入学・入社試験、保育園の入園審査(所得等)、パスポート関連、「あいつは嫌いだから誘わない」、その他選別するものは何でも実は差別。

他人の外見を見て「あの人、ちょっと変だから避けておこう」などと思ったりして敬遠することすら語句の意味からすると差別。こんなのは人の心の中では日常茶飯事。昨今の反差別運動はこのレベルも糾弾対象にしていないか? 人の心は止められない。糾弾すべき差別は「人種差別」に限定すべき。

企業や官公庁等の人材募集で「日本国籍保持者に限る」は人種差別ではない。自国民と外国人では扱いが異なって当然。「日本国籍保持者であっても朝鮮半島出身者は除く」とまで規定してあれば初めて人種差別に該当する。法制度や社会制度にもはや人種差別はないのに、人の心まで糾弾対象にするのは異常。

過剰な反差別運動による極端な結果平等志向は社会を崩壊させる。我々人間は工場で大量生産された製品ではない。個性があり、好みがある。差別が欠片も存在しない人間社会はありえない。ツイッターでフォローするのもブロックするのも差別。誰しも毎日朝から晩まで心の中で差別をしている。それが事実。

だから、「おまえは差別主義者か!」と糾弾されて怯む必要などない。珈琲か紅茶か迷って珈琲を選んだら既に差別だ。陰で喜ぶ業者と悲しむ業者がいる。‪人の営みである識別と選択は常に差別である‬。既婚者なら相手を決めたこと自体が差別だ。選ばれなくて泣いた人もいるだろう。まぁ、そういうことだ。



(追記)
もし「好かれたい」「賞賛されたい」というのが運動の動機なら、反差別運動なんていくらがんばっても無駄というか逆効果。深刻な人種差別問題がない日本ではそんな方向で暴れてもますます疎ましがられる=嫌われる、だけ。それは努力の方向が全然違うことを理解しましょう。



(参考)
差別という価値判断の合理化
http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/4ee533c812cf533fb347369864329644




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