家族と初めてのボランティアバス参加。
石塚観光さんと茨城県社会福祉協議会さんの共催です。
茨城県内では(ボランティアツアー)
唯一の企画だと思います。
単独行動ではなくて、
今回は団体行動。
それなら家族と一緒でも安心、
万が一のトラブルに出会う可能性も少ないので、
(団体の場合は危険性のあるエリアには近づかないと思う)
安心して「連れ」て行ってもらえるのです。
道中の移動も楽させてもらえます。
何しろ、
計画性があるので余程のことが起きない限り、
予定に合せた帰宅を計算出来る安心感もあり、
家族を同行させるには、
この上なく有り難い企画なのです。
単独行動だと、
途中での疲労や、
帰路の睡魔、
万が一の事故(起こす場合も巻き込まれる場合も)
想定外の立ち寄り等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
先週のように午後21時に出発して、
翌日の午後22時に帰宅。
鉄砲玉のような行動も自粛出来るだろうしね。
正に「弾丸日帰り」になってしまうこともあります。
翌日の月曜日、
死んでいました(TT)
5月、
家族を突然「復興ツアー」に参加させて(前日に初めて内容を白状して・・・・・・)
今回はボランティア活動に参加。
我がまま(エゴ)にも限度が・・・・・・、
と痛感しているのですが、
いつか理解してくれる時が来ると信じています。
そして、
今回のボランティア参加と至りました。
僕達は、
水戸市内ではなく、
那珂市役所近くの乗車地(那珂中央公民館前)を選択。
勿論、
水戸市内の各地からも乗車できますが、、、、、
水戸市内は乗車時間が早いのです。
(水戸から北に向かう為)
一番早いと、
乗車時間が午前3時~なので、、、、、
少しでも寝ていられるように?
一番最後の乗車地を選びました。
ま~それでも起床時間は、
大きくは変わりませんでした(^^;
(乗車地へ向かう為に早く自宅を出発しました)
午前4:20頃、
ボランティアバスが到着。
僕達は、
遅刻だけは最大限に避けるために、
午前3:30起床、
子供もちゃんと起きてくれたので驚き!!
そして、
午前3:45自宅を出発。
自宅が水戸IC近くなので、
30分あれば問題なく着くと思いました。
集合場所へ午前4:10に到着。
曇っていたため、
いつもの早朝より暗いですね。
その頃の駐車場では、
既に4~5台集まっていました。
中には車から降りて、
外で待機している人達も見えて!!
凄い・・・・「気合」入っているみたい!!
徐々に、
集合場所にも沢山の人達が集まりつつ、
順次バスに乗り込みます。
車内は予め座席表が決まっていて、
バス乗車口に貼り出されていました、
その指定に座ります。
「初」の団体行動に備えて、
緊張しまくりの僕でした(笑
(みんなどんな人なんだろう~って)
あれ?
出発時間を過ぎても、
バスはまだ走り出しません。
まだ1名が来ていないと言う様子で、
添乗員さん携帯で連絡いれています(汗
全員乗り込んでいるのに、
変だなぁ~の空気が漂い・・・・・・・(明日は我が身だったかも)
かなり遅れるのかな?
と心配。
何とか?
出発予定より10分程度の遅れで、
最後の一名が乗車して来ました。
やっとです、
10分遅れでいざ出発!!!!
最終乗車地からすぐ5分ほどで、
高速道路の那珂インター。
即・高速道路に乗り、
次の「東海PA」でもう一組と合流。
もう「一組」と言うのは、
守谷市から出発してきたグループです。
確か、
企画としては別々に存在していましたね~
守谷市と言うことは、
参加する人達も朝早くて大変だったと思います。
本来なら別便の守谷市出発組も、
参加人数が少なかった為、
僕達の県央組と、
一便に集約されたようです。
石塚観光さんが、
合流の段取りまで全て組んでくれていたようです。
守谷市(高速道路で茨城県の一番南側)からの合流組は6名、
東海PAで一台に合流した後、
総勢30名!!!!
途中トイレ休憩時の写真です ↓
■補足情報■
守谷市と言っても、
守谷近辺に住んでいる人達だけではなく、
この石塚観光さんのボランティアバスに参加する為に、
県外から守谷市まで来た人もいらっしゃいました。
その人達のルートとして、
手短に守谷市(出発地)で参加、
更に水戸出発の県央便と合流。
そうすることにより、
県外からの参加者の負担が少しでも軽減される。
簡単そうでも、
こういったツアーを企画されている会社は県内でも唯一。
県外でも珍しいのではないでしょうか、
だから県外からも、
参加して来る人がいるんだと思う。
凄いよね!!!
30名も集まってしまうんだもん。
実際に当日は、
埼玉県からの参加者がいました。
(活動前に現地で((班別にて))自己紹介有り)
石塚観光さんは、
ボランティアに対する考えは『営利目的』ではなくて、
本当の意味で復興として考えていらっしゃるようです。
普通に僕が試算したって、
儲かるツアーじゃないことくらい理解出来ます。
もっと参加人数が少ない時もあると思うし、
決意したものがあるから実践できているんでしょうね。
頭が下がります!!!
復興の意味を兼ねて、
格安で乗車させてくれること。
僕達は往復4000円で(現地のお弁当付)
往復の身をまかせられる訳です!!
ありがたいと思いました。
■もう一度触れたい話■
今回、
心配していたことですが(前にも触れましたが)
参加者が少ないと、
もしくは最低人数に満たないと、
欠便になってしまうんじゃないか?
申し込み時に心配して聞いてみました。
そんな心配は無用でした。
「どんなに参加者が少なくてもボランティアバスは出します!!」
その心意気に嬉しくなりました。
はっきり言えば、
感動以外の何物でもない。
後は手伝う人間だけが、
出来る範囲で、
且つ最大限に頑張れることが大切。
そう思うと心強い気持ちになりました。
地元企業で、
そんな意志を持っている会社があること。
温かい。
嬉しい。
震災のあった2011年、
その年の5月から毎週欠かさず、
ボランティアを出し続ける石塚観光さん。
当初は今と違って、
被災地も相当酷かった頃です、
ボランティア活動も大変だったはず。
それでも最初の頃は、
沢山の人達が手伝いたい!!!!
と殺到したんじゃないかと思う。
これだけ時間が経った今、
当初から比べて参加者も減っているし、
感心も低くなっていると感じる、
寂しいことだけど、
僕の周りでも会社でもそう。
でもそれが現実。
今回も申込み時点では(ツアーの前週で)15名程度でした。
それが多いのか少ないのか?
と問えば、、、、、、、、、
本音で言えば少ないと思った。
だけど、
そんな心配もよそに、
結果的に15日は(守谷市出発の便と合わせて)
何と最終30名まで膨れました。
が、
ひょっとして?
ボランティアの為に社員さん自らも(プライベート)参加して加わっていたんじゃないか?
そう察して?
感じる部分もあったんです。
多分、
それには色々な意味が含まれていたんとだと思う。
僕なりに感じたことは?
今回、
「初」のバス参加だったので全然違うのかも知れないし、
もしか?ビンゴだったのかも知れない。
わからないんですけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
まず一つ、
ボランティア参加の人達は意外な程、
「老若男女」だったこと。
それは良い意味で幅広いんじゃなくて、
本来参加して欲しいはずの「年齢層が少ない」ということ。
それは、
最も力仕事に適している「年齢層」と言う意味。
ある意味、
驚きました!!!
高齢の人まで参加してくれている、
それはそれで凄いな~と思う気持ちと、
若い男性が少ない!!!
と直感的に感じる部分がありました。
男性に限っては、
明らかに僕より年上の人が多い。
僕で46歳ですから、
その上と言うことは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
50歳以上。
中には60歳以上の男性も。
明らかに肉体労働するには、
厳しい年齢層だと思う。
(実際に僕でもめちゃくちゃキツかった)
その為の、
労働力を確保する為にも、
プライベートで社員さんが参加してくれたのかも知れない。
(社員さん自らの姿勢がそうなのかも知れませんが)
これは完全に僕の憶測ですけどね。
「営業」としての、
僕の勘と言えば聞こえは良いですが・・・・(^^;
女性は、
逆に若い人(20~30代)が参加されています。
勿論それ以上の方もいらっしゃいますが、
男性より平均年齢は確実に若いです。
この現実は、
ボランティアに対する一つの答えなのかも知れない。
もしくは、
今回たまたまそう偏ったのかも知れない。
きっと答えは、
次回以降も参加して行くことが出来れば、
もっと見えてくるものがあると思う。
ちなみに子供の参加は、
もう一組(兄弟で男の子が2人)のみ。
僕の子を入れて計3人。
社会経験は良いことだとしても、
若年層の子供達にとっては、
植樹のツアーが多いのかも知れない。
花を植える事、
植物を植える事、
そのほうが未来へのメッセージとして、
絆を育むプロジェクトとして、
シンプルにやり甲斐を理解し易いのかも知れない。
■本題へ■
話戻って道中の車内。
午前7時過ぎまでは車内も静か。
皆さん、
仮眠の人、
静かにお喋りを楽しむ人、
色々でした。
TV等の機器は使用されず、
また車内でのアナウンスも無し。
道中、
片道でのトイレ休憩は3度。
(1時間30~2時間毎にに一度)
片道は約5時間でした。
午前8時近くから、
車内ではいよいよビデオ放送される。
ボランティアに取り組む人達のビデオや(過去の石塚観光さんの取り組み)
GWに放送されたTV取材の番組、
県立佐和高校さんでの震災追悼の発表(みたいなもの)
やはり、
先月の車内で見たものとダブりましたが、
やはり何度でも魅入ってしまいます。
身が引き締まる思いに変わりはないし、
思わずこみあげる気持ちもありました。
曇り空。
天気予報も悪い傾向。
嫌な天候の続く中、
とうとう、、、、、、、、、、、、、、、、、
一番心配していた「雨」が降り出す。
ぽつぽつ。
最初は小雨。
徐々に雨足も強まってきて、、、、、、、、、ブルーな気分。
どんどん雨が降り出して、
何と最悪にも、
土砂降りの雨に変わってしまった。
よりによって、
一番雨だけは降って欲しくない日なのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
このまま土砂降りの雨が続くようなら、
ボランティア活動も、
最短で1時間~1時間30分で切り上がる旨、
道中の車内で説明あり。
どんなに悪天候でも、
行ったからには最低限の活動だけは行おう、
と言う意志の説明でした。
その場合、
午後からは被災地の視察へ切り替わる、
そんな日程の変更も視野に入れて欲しい。
そうおっしゃってましたが、
そう話しつつ添乗員さんも迷っている様子、
本音で「どうしたら良いのか・・・・・・・・・・考えます」と言ってます。
僕は、
個人的には、、、、、、、、、、、、、、、、
どんなに悪天候でも、
どんなに環境がキツくても、
その為に参加したんだから!!!
予定通り午後までやり遂げたい、
そう心で願った。
片道5時間かけて「1時間で終わり」は報われないよって。
(結果的には昼前から雨があがって午後14:30頃まで)
でも、
雨の中です。
体調崩す原因にもなりかねない。
ボランティアに参加して、
風邪でもひくことのほうが最悪かもね。
女性も子供も、
年配の人達もいます、
その方の健康面を優先すること。
そういうものだと理解しました。
■現地到着■
現地、
午前9時近く。
ほぼ予定時間に到着。
30名の皆さんは、
添乗員さんの指示に従って3班に班分け。
(車内で発表あり)
各自、
黄色のガムテープに「班」と「指名」を書きこんで、
名札のように体のどこかに貼り付けます。
お互いに誰なのか?
呼び合う時の目印です。
大方、
女性+男性(比較的に若い人)=A班、
そして男性オンリー=B班、
女性主体=C班、
こんな感じで班分けされました。
僕は家族とは別々で、
男性オンリーのB班に配属。
本音は残念(^^;
僕のB班は、
年配の方もいらっしゃいましたが、
何度も参加されているベテランさんもいらっしゃったり、
手際よく作業を進めて、
やるべきことを黙々と実践していきます!!!!!
凄い人達ばかり、
年齢のハンデなんか全く関係ないです。
個々の人間が、
やるべき事を理解しているって感じ。
何だか圧倒されてしまう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
■作業内容■
雨の降る中、
全員で合羽姿で作業開始です。
いくつか予定していた活動も、
作業内容を一つに絞り、
シンプルに「草刈り」のみ。
本音で言えば、
ここまで来て「草刈り」??と思いました。
草刈りなんて簡単な作業じゃないか?
日常的に出来ることなんじゃないか?
それがどんなに大事なことになるんだろう・・・・・、
僕が感じた最初の気持ちです。
でも与えられた作業は、
どんなことでもやり抜こう、
そう思って開始しました。
でも始まってみると、
その考えがどんなに甘くて、
どれほどの重労働だったのか、
身を持って理解しました。
雨の中、
ぼうぼうに伸びた雑草の草刈り。
茎も太くなっていて、
草じゃなくて「木」みたいな頑強さ、
抜くのに抜けない!!!
男の僕が両手で思い切り引っ張っても抜けない・・・・・・・・・・。
なにこれ?
舐めててかかった自分の、
無力さに情けない気持ちでいっぱい。
こんな草くらいも満足に抜けない、
始まって30分も経たないうちに、
恐ろしいくらいにくたくた。
全力で抜き続ける作業のハードさ、
中腰で、
足場の悪い傾斜での作業場で、
自然と呼吸も粗くなっていきます。
雨の中、
合羽を着たまま力仕事で、
当たり前に蒸せ返る服内。
合羽の中は全身ビショビショに汗をかいていきます。
信じられないくらいの汗。
運動することに慣れているつもりで、
何でも来い!!!と自信満々に思っていたはずなのに、
慢心でした。
ちょっとやそっとじゃ息も乱れないし、
鍛えているつもりでいたって、
草刈りなんて、
楽勝過ぎる!!!
むしろやり甲斐がないな、
と、
まで思い上がってました。
全然ダメじゃん、
役に立つどころか、
他の人達より進行が遅くない??
1人疲れていない?
役立たずじゃん?自分。
。。。。
気持ちが折れそうになっている。
自分より年配の人だって黙々とやっている。
女性や子供だって、
黙々と作業している。
みんな黙々と、
皆黙々と。
大地を踏んで、
頑張っている。
離れたところに見える我が子の、
作業している後姿が見える。
奥さんの近くで作業している。
女性主体の班だから、
少しでも楽な作業になってもらえたら良い。
たかが草刈り、
みんなが文句も言わずに、
黙々と頑張っている。
それがどんな意味があるのか?
僕は、
深い意味なんてどうでも良くて、
理由づけなんて必要ないんだと思った。
自分でも薄々わかっていたけど、
理由なんて、
結局は口実にしか過ぎない。
「ボランティア」だなんて格好良いこと言ったって、
本当に自分が役に立っているかどうか?
それすら怪しいものだ。
大切なことは、
この地に自分が少しでも貢献すること。
それだけで良い。
凄いことが出来なくても良い、
この地で犠牲になった人の分まで生きて、
その人達の存在を感じ取ろう。
ひねくれている自分の心を叩き直そう。
真っ直ぐにしよう。
それだけ思った。
すくなくても「今」だけは。
そう思えただけでも、
僕にとって参加した意義が見えてきた気がした。
ボランティア活動。
その時その時、
与えられる仕事もマチマチだと思います。
環境整備や景観美化もあるし、
花を植えるプロジェクト、
「千年希望の丘」なる植樹等々。
どんなことだって意味があることだと思いたい。
それが何の意味があるのか、
そこがこれからどんな復興を遂げて行くのか?
見違えてわかるものと、
そうでないものがある。
現在の「今」はわからないし、
多分誰にだってわからないとものだってある。
答えは10年後か、
それとも20年後か。
もっともっと先か。
逆に何も始まっていないか?
震災後の「今」の姿しか見えないけど、
そこに何かの思い入れを持つこと。
そこに足を踏み入れて、
同じ空気を吸い込んでみる。
聞こえないメッセージに耳を傾けてみる。
見えない存在を感じてみる。
それが出来るかも知れない。
聞こえない受難や、
彷徨っている魂があるのだとしても不思議ではない、
僕は否定しない。
見えなくても、
聞こえなくても、
それまでに存在していた人達がいたのは事実なのだから。
そこで暮らしていた思い入れがあったはずなのだから。
あれだけ沢山の方が犠牲になっていて、
今なお不明の人が沢山。
だから今、
生かされていることの意味を考えたい、
日頃どんな馬鹿やっているとしても、
ふと考えることが増えた、
常日頃から考えることが増えた。
■被災地で全て流されたしまった人の言葉■
震災前より震災後のほうが、
良くなったと思う部分も増えた。
失ったものも勿論大きいけれど、
得たものも大きいって。
見えたものも多いって。
震災後の2年とちょっとの時間、
どれだけ濃縮されたことか。
とても強い人だと思った。
凄いと思った。
言っている意味は理解できるけど、
僕がそんな前を向いて行けるだろうか?
わかっている無理だ。
いつまでも不幸を恨んで、
女々しく悲しんで、
いつまで経っても振り返ったままだ。
前を向いて生きて行くことのほうが困難にすら思えてしまう、
そんな姿が容易に想像できる。
何より女性は強い。
心が強い。
強いんだ。
全ての男性がそうだと思わないけど、、、、、、
男のほうは弱い生き物だと思った。
復興で立ち上がっているのは、
何故かいつも女性だ。
どんなことだって、
生きるためなら頑張ること、
頑張らなきゃいけないんだと覚悟している。
言葉に力が宿っている。
そう映る。
肉体的に弱い生き物だから、
精神的に強くなっているのか?
いやそうじゃなくて、
これは神様が与えた特権なのかも知れない。
だって子を産むのも女性、
その苦しみは男性が想像出来る比じゃないものだと聞いた。
だから強い、
強くなっていく。
それが女性なんだと気付かされる、
話が脱線してしまいました。
被災地で出会った人達のことを思い出して、
そんなことが頭の中を巡りながら、
いつも木霊しています。
せめて「力」の必要な時くらい男が頑張らなくちゃ!!!
と感じてしまった。
震災後しかしらなかった現場を、
後日ネットで検索してみました。
電車の仙石線(せんせきせん)・東名駅。
いまだに未開通区間のようです。
震災前の「東名駅」 ↑
駅の存在自体はローカルな無人駅です。
現在の「東名駅」 ↑ (上の写真と向きは反対側だと推測します)
周辺には舗装されていたアスファルトのかけらもありません。
当然近くの道路もありません。
震災時の「東名駅」 ↑ (上空からの写真を拝借)
波打ったフェンスに見えるものは「線路」です。
上の写真とアングルが近いです(若干違いますが) #ホームの端っこが似ている。
「東名」と言う表記は同じです。
ここのホームから海岸線に向かっては、
建物はほとんどありません(解体されたものも含めて)
ここの陸橋の下を線路が走っていて、
さきほどの「東名駅」にたどり着きます。
線路のあった位置を、
太字で「線路」を書き入れてみました。 ↑
今だけを見ると、
全く想像つかないし空地にしか見えません。
瓦礫が片づけられていると、
元々が何事もなかったのような殺風景さ。
被災地の多くの現在は、
こんな光景しか残っていません。
■お昼時間■
宮城県石巻市にある「大徳」さんのお弁当!!!
ボランティア向けに仕出しをして下さっています。
(#掲示板を拝見すると仕出しお弁当屋さんなのかな)
しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご飯の盛りが「特盛」状態!!!!
すっげ~~~~~~~~盛りにびっくり。
こんなお弁当見たことない!!!
コンビニの「おにぎり」と比べると?
ご飯は6ケ分あった。
そんなボリュームなのです。
午前中の3時間でへとへとに消耗、
その体に十分過ぎるエネルギーを注入出来ました!!!
大人の僕でも、
このご飯のボリュームに驚いたと言うのに・・・・・・・・・・・・・・・・・、
何と我が子供が一番最初に食べ終えて(家族で
次に奥さんも食べ終えて、、、、、(え?
僕が一番最後でした。
お昼の時間、
10分ほどの場所に移動して整備されている場所で!!!
約40分間の休憩。
そして元の場所へ戻りました。
雨はあがっていましたが、
濡れている部分も多く、
バス車内で食べている人も多かったです。
僕は全身汗でびしょ濡れだったので、
濡れている場所でも平気(笑
せめて外で乾かしたいし!!!
#バス車内での移動も苦しかったです(パンツまでも汗だくだったから)
食べ終えて現地に戻り、
作業の続行へ。
午後の作業予定は午後3時まででしたが、
実際に午後2:30で打ち切りとなりました。
■片づけをして現地で記念撮影 ↓ ■
外で男性陣は着替え(写真の後ろの男性・・・・・裸)
女性は、
次に移動した先で着替え部屋を提供されました。
「東名駅」前で、
家族で記念写真撮って頂きました(同じくボランティアに参加されていた男性)
感謝です!!!!
言うまでも無く、
僕は作業現場の「おっちゃん」です。 ↑
長靴も泥だらけ、
全身汗だらけ。
風呂入りた~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い(TT)
予定より30分ほど早目に終了しましたが、
結果的にこれが「吉」でした。
この後、
雨が降り始まり結果的に、
撤収のタイミングが良かったです、本当。
帰路、
女性陣の着替えで松島へ。
若干の買い物タイムと休憩。
帰路、
トイレ・タイムはありつつも一気に茨城まで!!!!
帰路は車内で「ハンサムスーツ」のビデオ上映、
どこからチョイスされたのか訳わからなかったけど、
意外や意外(失礼っ
面白くて食い入るように観てしまった(^^;
こんなに面白い映画だったとは・・・・・・・。
常磐自動車道・東海PAで、
守谷組と分かれ、
県央組は那珂ICを下車。
最初の乗車地で解散。
那珂中央公民館着は午後19:30頃でした。
おおかたの参加者は、
那珂市の中央公民館前で降りました。
この後は水戸駅まで3名。
その方々は、
元々が水戸の人なのか?どうだったんでしょう。
(参加するために水戸まで来ていた人もいたのかも)
自己紹介時に、
どこに住んでいます、と言う人も少ないので。
ただ確かなのは、
埼玉県から参加している人もいたということ。
そう思えば、
僕達は水戸市からの参加だもん、
どんなに恵まれていたことか!!!
■最後に■
石塚観光さんのバスに参加して良かったと思いました。
いつもと違った目線で考えられたこと、
違う人達の頑張りが、
勇気を与えてくれたこと。
少なくても、
この人達は勇気を発電しているんだと思った。
年齢に関係なく、
性別に関係なく、
何かを手伝いたいんだ!!!
そう思っているんですね。
ほとんどの人と、
話す機会がなかったけれど、
その人達の存在を知っただけでも良かった。
また次に会えた時こそ、
今度はちゃんと話してみたい!!!
可能なら、
笑顔のキャッボールが出来たら良いね。
草刈り程度の作業で、
足腰ガクっとさせられるとは思ってもみなかった。
使う筋肉が違うと言えば、
その通りだけど。
それだって普段動かしている体が、
ここまで疲れ切ってしまうなんて、、、、、
体のアチコチが筋肉痛、
ショックでした。
長文で途中から何話しているのか、
着地点が見えない記事となってしまいました。
僕が思っていることの「ほとんど」を詰め込んでみました。
そのせいです。
もし僕の伝えたい言葉の一部でも、
見てくれている人に理解してもらえたのなら嬉しいです。
人それぞれ、
価値観も生活観も違う上で話しています。
少しでも、
僕の話に興味を持って下さったり、
気に留めてくれる人がいるのなら励みになります!!
おしまい。