おやじボクサー(58歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

「宮城県復興ボランティアバス」参加 @ 石塚観光(2013年6月15日)

2013年06月18日 02時50分46秒 | 3.11ボランティア 茨城県水戸から宮城県11年間参加<<社会福祉協議会>>

家族と初めてのボランティアバス参加。

 

石塚観光さんと茨城県社会福祉協議会さんの共催です。

 

茨城県内では(ボランティアツアー)

唯一の企画だと思います。

 

 

 

単独行動ではなくて、

今回は団体行動。

 

それなら家族と一緒でも安心、

万が一のトラブルに出会う可能性も少ないので、

(団体の場合は危険性のあるエリアには近づかないと思う)

安心して「連れ」て行ってもらえるのです。

 

道中の移動も楽させてもらえます。

 

何しろ、

計画性があるので余程のことが起きない限り、

予定に合せた帰宅を計算出来る安心感もあり、

家族を同行させるには、

この上なく有り難い企画なのです。

 

 

単独行動だと、

途中での疲労や、

帰路の睡魔、

万が一の事故(起こす場合も巻き込まれる場合も)

想定外の立ち寄り等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、

先週のように午後21時に出発して、

翌日の午後22時に帰宅。

鉄砲玉のような行動も自粛出来るだろうしね。

 

正に「弾丸日帰り」になってしまうこともあります。

翌日の月曜日、

死んでいました(TT)

 

 

5月、

家族を突然「復興ツアー」に参加させて(前日に初めて内容を白状して・・・・・・)

今回はボランティア活動に参加。

 

我がまま(エゴ)にも限度が・・・・・・、

と痛感しているのですが、

いつか理解してくれる時が来ると信じています。

 

そして、

今回のボランティア参加と至りました。

 

 

 

僕達は、

水戸市内ではなく、

那珂市役所近くの乗車地(那珂中央公民館前)を選択。

 

勿論、

水戸市内の各地からも乗車できますが、、、、、

水戸市内は乗車時間が早いのです。

(水戸から北に向かう為)

 

一番早いと、

乗車時間が午前3時~なので、、、、、

少しでも寝ていられるように?

一番最後の乗車地を選びました。

 

ま~それでも起床時間は、

大きくは変わりませんでした(^^;

(乗車地へ向かう為に早く自宅を出発しました)

 

 

午前4:20頃、

ボランティアバスが到着。

 

 

僕達は、

遅刻だけは最大限に避けるために、

午前3:30起床、

子供もちゃんと起きてくれたので驚き!!

そして、

午前3:45自宅を出発。

 

自宅が水戸IC近くなので、

30分あれば問題なく着くと思いました。

 

 

集合場所へ午前4:10に到着。

曇っていたため、

いつもの早朝より暗いですね。

 

その頃の駐車場では、

既に4~5台集まっていました。

中には車から降りて、

外で待機している人達も見えて!!

凄い・・・・「気合」入っているみたい!!

 

 

徐々に、

集合場所にも沢山の人達が集まりつつ、

順次バスに乗り込みます。

 

車内は予め座席表が決まっていて、

バス乗車口に貼り出されていました、

その指定に座ります。

 

「初」の団体行動に備えて、

緊張しまくりの僕でした(笑

(みんなどんな人なんだろう~って)

 

 

あれ?

出発時間を過ぎても、

バスはまだ走り出しません。

 

 

 

まだ1名が来ていないと言う様子で、

添乗員さん携帯で連絡いれています(汗

 

全員乗り込んでいるのに、

変だなぁ~の空気が漂い・・・・・・・(明日は我が身だったかも)

かなり遅れるのかな?

と心配。

 

何とか?

出発予定より10分程度の遅れで、

最後の一名が乗車して来ました。

 

やっとです、

10分遅れでいざ出発!!!!

 

 

 

最終乗車地からすぐ5分ほどで、

高速道路の那珂インター。

 

即・高速道路に乗り、

次の「東海PA」でもう一組と合流。

 

もう「一組」と言うのは、

守谷市から出発してきたグループです。

 

確か、

企画としては別々に存在していましたね~

守谷市と言うことは、

参加する人達も朝早くて大変だったと思います。

 

本来なら別便の守谷市出発組も、

参加人数が少なかった為、

僕達の県央組と、

一便に集約されたようです。

 

石塚観光さんが、

合流の段取りまで全て組んでくれていたようです。

 

守谷市(高速道路で茨城県の一番南側)からの合流組は6名、

東海PAで一台に合流した後、

総勢30名!!!!

 

 

 

 

 

 

途中トイレ休憩時の写真です ↓

 

 

 

 

■補足情報■

守谷市と言っても、

守谷近辺に住んでいる人達だけではなく、

この石塚観光さんのボランティアバスに参加する為に、

県外から守谷市まで来た人もいらっしゃいました。

 

その人達のルートとして、

手短に守谷市(出発地)で参加、

更に水戸出発の県央便と合流。

そうすることにより、

県外からの参加者の負担が少しでも軽減される。

 

簡単そうでも、

こういったツアーを企画されている会社は県内でも唯一。

県外でも珍しいのではないでしょうか、

だから県外からも、

参加して来る人がいるんだと思う。

凄いよね!!!

30名も集まってしまうんだもん。

 

 

実際に当日は、

埼玉県からの参加者がいました。

(活動前に現地で((班別にて))自己紹介有り)

 

石塚観光さんは、

ボランティアに対する考えは『営利目的』ではなくて、

本当の意味で復興として考えていらっしゃるようです。

普通に僕が試算したって、

儲かるツアーじゃないことくらい理解出来ます。

もっと参加人数が少ない時もあると思うし、

決意したものがあるから実践できているんでしょうね。

頭が下がります!!!

 

 

復興の意味を兼ねて、

格安で乗車させてくれること。

僕達は往復4000円で(現地のお弁当付)

往復の身をまかせられる訳です!!

ありがたいと思いました。

 

 

■もう一度触れたい話■

今回、

心配していたことですが(前にも触れましたが)

参加者が少ないと、

もしくは最低人数に満たないと、

欠便になってしまうんじゃないか?

申し込み時に心配して聞いてみました。

 

そんな心配は無用でした。

 

どんなに参加者が少なくてもボランティアバスは出します!!

その心意気に嬉しくなりました。

はっきり言えば、

感動以外の何物でもない。

 

後は手伝う人間だけが、

出来る範囲で、

且つ最大限に頑張れることが大切。

 

そう思うと心強い気持ちになりました。

 

地元企業で、

そんな意志を持っている会社があること。

温かい。

嬉しい。

 

震災のあった2011年、

その年の5月から毎週欠かさず、

ボランティアを出し続ける石塚観光さん。

当初は今と違って、

被災地も相当酷かった頃です、

ボランティア活動も大変だったはず。

それでも最初の頃は、

沢山の人達が手伝いたい!!!!

と殺到したんじゃないかと思う。 

 

これだけ時間が経った今、

当初から比べて参加者も減っているし、

感心も低くなっていると感じる、

寂しいことだけど、

僕の周りでも会社でもそう。

でもそれが現実。

 

今回も申込み時点では(ツアーの前週で)15名程度でした。

それが多いのか少ないのか?

と問えば、、、、、、、、、

本音で言えば少ないと思った。

 

だけど、 

そんな心配もよそに、

結果的に15日は(守谷市出発の便と合わせて)

何と最終30名まで膨れました。

 

が、

ひょっとして?

ボランティアの為に社員さん自らも(プライベート)参加して加わっていたんじゃないか?

そう察して?

感じる部分もあったんです。

 

多分、

それには色々な意味が含まれていたんとだと思う。

僕なりに感じたことは?

今回、

「初」のバス参加だったので全然違うのかも知れないし、

もしか?ビンゴだったのかも知れない。

わからないんですけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 

まず一つ、

ボランティア参加の人達は意外な程、

「老若男女」だったこと。

それは良い意味で幅広いんじゃなくて、

本来参加して欲しいはずの「年齢層が少ない」ということ。

それは、

最も力仕事に適している「年齢層」と言う意味。

 

ある意味、

驚きました!!!

高齢の人まで参加してくれている、

それはそれで凄いな~と思う気持ちと、

若い男性が少ない!!!

と直感的に感じる部分がありました。

 

男性に限っては、

明らかに僕より年上の人が多い。

僕で46歳ですから、

その上と言うことは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、

50歳以上。

中には60歳以上の男性も。

 

明らかに肉体労働するには、

厳しい年齢層だと思う。

(実際に僕でもめちゃくちゃキツかった)

 

その為の、

労働力を確保する為にも、

プライベートで社員さんが参加してくれたのかも知れない。

(社員さん自らの姿勢がそうなのかも知れませんが)

これは完全に僕の憶測ですけどね。

 

「営業」としての、

僕の勘と言えば聞こえは良いですが・・・・(^^;

 

 

女性は、

逆に若い人(20~30代)が参加されています。

勿論それ以上の方もいらっしゃいますが、

男性より平均年齢は確実に若いです。

 

この現実は、

ボランティアに対する一つの答えなのかも知れない。

もしくは、

今回たまたまそう偏ったのかも知れない。

 

きっと答えは、

次回以降も参加して行くことが出来れば、

もっと見えてくるものがあると思う。

 

 

ちなみに子供の参加は、

もう一組(兄弟で男の子が2人)のみ。

僕の子を入れて計3人。

 

社会経験は良いことだとしても、

若年層の子供達にとっては、

植樹のツアーが多いのかも知れない。

 

花を植える事、

植物を植える事、

そのほうが未来へのメッセージとして、

絆を育むプロジェクトとして、

シンプルにやり甲斐を理解し易いのかも知れない。

 

 

 

 

 

■本題へ■

話戻って道中の車内。

午前7時過ぎまでは車内も静か。

 

皆さん、

仮眠の人、

静かにお喋りを楽しむ人、

色々でした。

TV等の機器は使用されず、

また車内でのアナウンスも無し。

 

道中、

片道でのトイレ休憩は3度。

(1時間30~2時間毎にに一度)

片道は約5時間でした。

 

午前8時近くから、

車内ではいよいよビデオ放送される。

 

ボランティアに取り組む人達のビデオや(過去の石塚観光さんの取り組み)

GWに放送されたTV取材の番組、

県立佐和高校さんでの震災追悼の発表(みたいなもの)

やはり、

先月の車内で見たものとダブりましたが、

やはり何度でも魅入ってしまいます。

身が引き締まる思いに変わりはないし、

思わずこみあげる気持ちもありました。

 

 

 

 

曇り空。

天気予報も悪い傾向。

嫌な天候の続く中、

とうとう、、、、、、、、、、、、、、、、、

一番心配していた「雨」が降り出す。

ぽつぽつ。

最初は小雨。

徐々に雨足も強まってきて、、、、、、、、、ブルーな気分。

 

 

どんどん雨が降り出して、

何と最悪にも、

土砂降りの雨に変わってしまった。

 

よりによって、

一番雨だけは降って欲しくない日なのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

このまま土砂降りの雨が続くようなら、

ボランティア活動も、

最短で1時間~1時間30分で切り上がる旨、

道中の車内で説明あり。

 

どんなに悪天候でも、

行ったからには最低限の活動だけは行おう、

と言う意志の説明でした。

 

その場合、

午後からは被災地の視察へ切り替わる、

そんな日程の変更も視野に入れて欲しい。

そうおっしゃってましたが、

そう話しつつ添乗員さんも迷っている様子、

本音で「どうしたら良いのか・・・・・・・・・・考えます」と言ってます。

 

 

僕は、

個人的には、、、、、、、、、、、、、、、、

どんなに悪天候でも、

どんなに環境がキツくても、

その為に参加したんだから!!!

予定通り午後までやり遂げたい、

そう心で願った。

片道5時間かけて「1時間で終わり」は報われないよって。

(結果的には昼前から雨があがって午後14:30頃まで)

 

でも、

雨の中です。

体調崩す原因にもなりかねない。

ボランティアに参加して、

風邪でもひくことのほうが最悪かもね。

 

女性も子供も、

年配の人達もいます、

その方の健康面を優先すること。

 

そういうものだと理解しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

■現地到着■

現地、

午前9時近く。

ほぼ予定時間に到着。

 

 

30名の皆さんは、

添乗員さんの指示に従って3班に班分け。

(車内で発表あり)

各自、

黄色のガムテープに「班」と「指名」を書きこんで、

名札のように体のどこかに貼り付けます。

お互いに誰なのか?

呼び合う時の目印です。

 

 

大方、

女性+男性(比較的に若い人)=A班、

そして男性オンリー=B班、

女性主体=C班、

こんな感じで班分けされました。

 

 

僕は家族とは別々で、

男性オンリーのB班に配属。

本音は残念(^^;

 

僕のB班は、

年配の方もいらっしゃいましたが、

何度も参加されているベテランさんもいらっしゃったり、

手際よく作業を進めて、

やるべきことを黙々と実践していきます!!!!!

 

凄い人達ばかり、

年齢のハンデなんか全く関係ないです。

個々の人間が、

やるべき事を理解しているって感じ。

何だか圧倒されてしまう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

■作業内容■

雨の降る中、

全員で合羽姿で作業開始です。

 

 

いくつか予定していた活動も、

作業内容を一つに絞り、

シンプルに「草刈り」のみ。

 

本音で言えば、

ここまで来て「草刈り」??と思いました。

 

草刈りなんて簡単な作業じゃないか?

日常的に出来ることなんじゃないか?

それがどんなに大事なことになるんだろう・・・・・、

僕が感じた最初の気持ちです。

 

でも与えられた作業は、

どんなことでもやり抜こう、

そう思って開始しました。

 

 

でも始まってみると、

その考えがどんなに甘くて、

どれほどの重労働だったのか、

身を持って理解しました。

 

 

雨の中、

ぼうぼうに伸びた雑草の草刈り。

 

茎も太くなっていて、

草じゃなくて「木」みたいな頑強さ、

抜くのに抜けない!!!

男の僕が両手で思い切り引っ張っても抜けない・・・・・・・・・・。

なにこれ?

 

舐めててかかった自分の、

無力さに情けない気持ちでいっぱい。

 

こんな草くらいも満足に抜けない、

始まって30分も経たないうちに、

恐ろしいくらいにくたくた。

 

全力で抜き続ける作業のハードさ、

中腰で、

足場の悪い傾斜での作業場で、

自然と呼吸も粗くなっていきます。

 

雨の中、

合羽を着たまま力仕事で、

当たり前に蒸せ返る服内。

 

合羽の中は全身ビショビショに汗をかいていきます。

信じられないくらいの汗。

 

運動することに慣れているつもりで、

何でも来い!!!と自信満々に思っていたはずなのに、

慢心でした。

 

ちょっとやそっとじゃ息も乱れないし、

鍛えているつもりでいたって、

草刈りなんて、

楽勝過ぎる!!!

むしろやり甲斐がないな、

と、

まで思い上がってました。

 

全然ダメじゃん、

役に立つどころか、

他の人達より進行が遅くない??

1人疲れていない?

 

役立たずじゃん?自分。

。。。。

 

気持ちが折れそうになっている。

 

自分より年配の人だって黙々とやっている。

女性や子供だって、

黙々と作業している。

 

みんな黙々と、

皆黙々と。

 

大地を踏んで、

頑張っている。

 

離れたところに見える我が子の、

作業している後姿が見える。

 

奥さんの近くで作業している。

女性主体の班だから、

少しでも楽な作業になってもらえたら良い。

 

 

たかが草刈り、

みんなが文句も言わずに、

黙々と頑張っている。

 

それがどんな意味があるのか? 

僕は、

深い意味なんてどうでも良くて、

理由づけなんて必要ないんだと思った。

 

自分でも薄々わかっていたけど、

理由なんて、

結局は口実にしか過ぎない。

 

「ボランティア」だなんて格好良いこと言ったって、

本当に自分が役に立っているかどうか?

それすら怪しいものだ。

 

 

大切なことは、

この地に自分が少しでも貢献すること。

それだけで良い。

 

凄いことが出来なくても良い、

この地で犠牲になった人の分まで生きて、

その人達の存在を感じ取ろう。

ひねくれている自分の心を叩き直そう。

真っ直ぐにしよう。

それだけ思った。

すくなくても「今」だけは。

 

 

そう思えただけでも、

僕にとって参加した意義が見えてきた気がした。

 

 

ボランティア活動。

その時その時、

与えられる仕事もマチマチだと思います。

 

環境整備や景観美化もあるし、

花を植えるプロジェクト、

「千年希望の丘」なる植樹等々。

 

どんなことだって意味があることだと思いたい。

 

それが何の意味があるのか、

そこがこれからどんな復興を遂げて行くのか?

見違えてわかるものと、

そうでないものがある。

 

現在の「今」はわからないし、

多分誰にだってわからないとものだってある。

答えは10年後か、

それとも20年後か。

もっともっと先か。

逆に何も始まっていないか?

 

 

震災後の「今」の姿しか見えないけど、

そこに何かの思い入れを持つこと。 

そこに足を踏み入れて、

同じ空気を吸い込んでみる。

聞こえないメッセージに耳を傾けてみる。

見えない存在を感じてみる。

それが出来るかも知れない。

 

聞こえない受難や、

彷徨っている魂があるのだとしても不思議ではない、

僕は否定しない。

 

見えなくても、

聞こえなくても、

それまでに存在していた人達がいたのは事実なのだから。

そこで暮らしていた思い入れがあったはずなのだから。

 

 

あれだけ沢山の方が犠牲になっていて、

今なお不明の人が沢山。

だから今、

生かされていることの意味を考えたい、

日頃どんな馬鹿やっているとしても、

ふと考えることが増えた、

常日頃から考えることが増えた。

 

 

■被災地で全て流されたしまった人の言葉■

震災前より震災後のほうが、

良くなったと思う部分も増えた。

失ったものも勿論大きいけれど、

得たものも大きいって。

見えたものも多いって。

 

震災後の2年とちょっとの時間、

どれだけ濃縮されたことか。

 

とても強い人だと思った。

凄いと思った。

 

言っている意味は理解できるけど、

僕がそんな前を向いて行けるだろうか?

わかっている無理だ。

 

いつまでも不幸を恨んで、

女々しく悲しんで、

いつまで経っても振り返ったままだ。

前を向いて生きて行くことのほうが困難にすら思えてしまう、

そんな姿が容易に想像できる。

 

 

何より女性は強い。

心が強い。

強いんだ。

 

全ての男性がそうだと思わないけど、、、、、、

男のほうは弱い生き物だと思った。

復興で立ち上がっているのは、

何故かいつも女性だ。

 

どんなことだって、

生きるためなら頑張ること、

頑張らなきゃいけないんだと覚悟している。

言葉に力が宿っている。

そう映る。

 

肉体的に弱い生き物だから、

精神的に強くなっているのか?

いやそうじゃなくて、

これは神様が与えた特権なのかも知れない。

 

だって子を産むのも女性、

その苦しみは男性が想像出来る比じゃないものだと聞いた。

 

だから強い、

強くなっていく。

それが女性なんだと気付かされる、

 

 

話が脱線してしまいました。

 

被災地で出会った人達のことを思い出して、

そんなことが頭の中を巡りながら、

いつも木霊しています。

 

せめて「力」の必要な時くらい男が頑張らなくちゃ!!!

と感じてしまった。

 

 

 

 

 

 

震災後しかしらなかった現場を、

後日ネットで検索してみました。

 

電車の仙石線(せんせきせん)・東名駅

いまだに未開通区間のようです。

フォトライブラリー

震災前の「東名駅」 ↑

駅の存在自体はローカルな無人駅です。

 

 

現在の「東名駅」 ↑ (上の写真と向きは反対側だと推測します)

周辺には舗装されていたアスファルトのかけらもありません。

当然近くの道路もありません。

 

 

 

 

震災時の「東名駅」 ↑  (上空からの写真を拝借)

波打ったフェンスに見えるものは「線路」です。

上の写真とアングルが近いです(若干違いますが)  #ホームの端っこが似ている。

「東名」と言う表記は同じです。

ここのホームから海岸線に向かっては、

建物はほとんどありません(解体されたものも含めて)

 

 

 

ここの陸橋の下を線路が走っていて、

さきほどの「東名駅」にたどり着きます。

 

線路のあった位置を、

太字で「線路」を書き入れてみました。 ↑

今だけを見ると、

全く想像つかないし空地にしか見えません。

瓦礫が片づけられていると、

元々が何事もなかったのような殺風景さ。

被災地の多くの現在は、

こんな光景しか残っていません。

 

 

 

 

 

■お昼時間■

宮城県石巻市にある「大徳」さんのお弁当!!!

ボランティア向けに仕出しをして下さっています。

(#掲示板を拝見すると仕出しお弁当屋さんなのかな)

 

しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご飯の盛りが「特盛」状態!!!!

すっげ~~~~~~~~盛りにびっくり。

こんなお弁当見たことない!!!

コンビニの「おにぎり」と比べると?

ご飯は6ケ分あった。

そんなボリュームなのです。

 

午前中の3時間でへとへとに消耗、

その体に十分過ぎるエネルギーを注入出来ました!!!

 

大人の僕でも、

このご飯のボリュームに驚いたと言うのに・・・・・・・・・・・・・・・・・、

何と我が子供が一番最初に食べ終えて(家族で

次に奥さんも食べ終えて、、、、、(え?

僕が一番最後でした。

 

 

 

お昼の時間、

10分ほどの場所に移動して整備されている場所で!!!

 

約40分間の休憩。

そして元の場所へ戻りました。

 

雨はあがっていましたが、

濡れている部分も多く、

バス車内で食べている人も多かったです。

 

僕は全身汗でびしょ濡れだったので、

濡れている場所でも平気(笑

せめて外で乾かしたいし!!!

#バス車内での移動も苦しかったです(パンツまでも汗だくだったから)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食べ終えて現地に戻り、

作業の続行へ。

 

午後の作業予定は午後3時まででしたが、

実際に午後2:30で打ち切りとなりました。

 

 

 

 

 

 

■片づけをして現地で記念撮影 ↓ ■

 

外で男性陣は着替え(写真の後ろの男性・・・・・裸)

女性は、

次に移動した先で着替え部屋を提供されました。

 

「東名駅」前で、

家族で記念写真撮って頂きました(同じくボランティアに参加されていた男性)

感謝です!!!!

 

 

言うまでも無く、

僕は作業現場の「おっちゃん」です。 ↑

長靴も泥だらけ、

全身汗だらけ。

風呂入りた~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い(TT)

 

予定より30分ほど早目に終了しましたが、

結果的にこれが「吉」でした。

この後、

雨が降り始まり結果的に、

撤収のタイミングが良かったです、本当。

 

 

 

帰路、

女性陣の着替えで松島へ。

若干の買い物タイムと休憩。

 

帰路、

トイレ・タイムはありつつも一気に茨城まで!!!!

 

帰路は車内で「ハンサムスーツ」のビデオ上映、

どこからチョイスされたのか訳わからなかったけど、

意外や意外(失礼っ

面白くて食い入るように観てしまった(^^;

こんなに面白い映画だったとは・・・・・・・。

 

 

常磐自動車道・東海PAで、

守谷組と分かれ、

県央組は那珂ICを下車。

最初の乗車地で解散。

那珂中央公民館着は午後19:30頃でした。

 

 

 

 

 

おおかたの参加者は、

那珂市の中央公民館前で降りました。

この後は水戸駅まで3名。

 

その方々は、

元々が水戸の人なのか?どうだったんでしょう。

(参加するために水戸まで来ていた人もいたのかも)

自己紹介時に、

どこに住んでいます、と言う人も少ないので。

 

 

ただ確かなのは、

埼玉県から参加している人もいたということ。

そう思えば、

僕達は水戸市からの参加だもん、

どんなに恵まれていたことか!!!

 

 

 

■最後に■

石塚観光さんのバスに参加して良かったと思いました。

 

いつもと違った目線で考えられたこと、

違う人達の頑張りが、

勇気を与えてくれたこと。

 

少なくても、

この人達は勇気を発電しているんだと思った。

 

年齢に関係なく、

性別に関係なく、

何かを手伝いたいんだ!!!

そう思っているんですね。

 

ほとんどの人と、

話す機会がなかったけれど、

その人達の存在を知っただけでも良かった。

 

また次に会えた時こそ、

今度はちゃんと話してみたい!!!

可能なら、

笑顔のキャッボールが出来たら良いね。

 

草刈り程度の作業で、

足腰ガクっとさせられるとは思ってもみなかった。

使う筋肉が違うと言えば、

その通りだけど。

 

それだって普段動かしている体が、

ここまで疲れ切ってしまうなんて、、、、、

体のアチコチが筋肉痛、

ショックでした。

 

 

長文で途中から何話しているのか、

着地点が見えない記事となってしまいました。

僕が思っていることの「ほとんど」を詰め込んでみました。

そのせいです。

 

 

もし僕の伝えたい言葉の一部でも、

見てくれている人に理解してもらえたのなら嬉しいです。

 

人それぞれ、

価値観も生活観も違う上で話しています。

少しでも、

僕の話に興味を持って下さったり、

気に留めてくれる人がいるのなら励みになります!!

 

 

 

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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