ぶんちゃんの知ってる子がいっぱいいるわ、もちろんYもw
ご存知の通り、文才もないので素通りしてくださいね(汗)
これも、忘れないように記録・・・w
それは20年も前、Yが小学5年生になった4月、始業式の日・・・
「
と、興奮して帰ってきたのを今でもよく覚えてます。
で、その日から我が家に毎日のように遊びに来るように・・・
しかも、すぐに和歌山弁を覚え「しちゃろか~(してあげようか?」と言ってるので
思わず「あんた、何人?」と聞いたら「僕、韓国人」と・・・
一瞬、悪いことを言ったかなと思いましたが全然平気、すぐにとっても仲良しに・・・
担任の先生も転任したばかりの男の先生。
春休みにYは「僕、クラブはバスケットに入るねん」と言ってたら、その先生はバスケ部の顧問でした。
全てが偶然というより必然だったんでしょうね~
Yのバスケ人生が始まったのです。
儒教の国、父親は絶対です・・・
しかし、彼は反抗期。
この地を離れる時にオモニ(お母さん)が
「あの頃は家では一言も喋らず・・・でも、無事に過ごせたのもKさんちがあったからと感謝してます」
知らなかったわ~なんてねw
はい、それから中1の終わりまでの3年間、ほんと我が家で過ごした時間の方が長かったかも?(爆)
その後も何度もうちに里帰り?
しかし、8年前(大学生)を最後に音信不通に・・・
はい、韓国には兵役があり・・・
日本の関係も難しく、日本が嫌いになったのかな~とか、もう連絡はないのかと・・・
いつもいつも、心のどこかに引っかかってました。
その彼から電話が!!
ね、嬉しいでしょう?
あ~糸は切れてなかったと涙しました。
出雲さんにも感謝w
続くw