彼女とあんこはきつねうどん、彼は必ず月見うどん、そしてすし半(盛り合わせ半分)と鉄火巻
この地に里帰りすると必ずお昼はここで。半世紀以上続いてると地元に根付いたおうどん屋さん。
韓国帰る前、2週間くらい毎日通ったくらい、大好きなお店。
最初の電話はちょっと日本語がぎこちなかったけど、もう元通り。
メールも綺麗な日本語で返信。
昔、聞いたことある「頭の中や夢は何語で?」彼は「ほとんど日本語」と・・・
しかし、もうそんなことはないんでしょうね~
漢字のテスト(まぁ他もだけど)は必ずクラス1。
K先生は「日本人は漢字が出来ないんだな~」とよく言ったそうですw
今回違ったのは里帰りなのに我が家でなくホテルで泊ったことかな?初めてw
さすがにね~(汗)
そうそう、
二人で来てくれました。
その時、「日本人の家にあがる時は靴下を履くように」と彼女のお母さんが彼の分と2足持たせてくれたそうです。
いや~そんなん履いたら靴下汚れるわ(爆)
もちろん、素足のままスリッパ履いてもらいました(汗)
日本人の家ってこんなに小さく汚い家って思われたかも~~~
彼女は、結婚式を控えてるのもあり、Yの結婚式の写真やビデオを食い入るように見てたわ~w
ウェイトベアも愛おしそうに抱いてましたw
そして会えなかったYとSちゃんからはビデオレターが二人に送られてきました♪
カルチャーショックが多すぎて知恵熱出てないかしらん(爆)
その後、大阪で2泊して、T2に教えてもらったお店をいっぱい
これで長く会えなくてもきっと一生、縁の糸は切れないかな~と・・・(切れてなかったんだけど)
ご両親にもお会いしたいな~
小学校、中学校も見たあとは住んでたマンションも見学w
その彼女は韓国の女優さんでした~ウソ!w
彼と同じお医者さま。
でも、そう思うくらい綺麗でしょう?(彼は一杯飲んだら真っ赤になるがめっちゃ飲める、Yと一緒)
お顔も整ってるし、小さいし・・・でも一番は毛穴がない!!(空子さんの言うとおり)
ほんとないんです~もう30歳なのに~~
T2もあまりの綺麗さに驚いてたわw
色々懐かしい場所を見学?したあとは、もう一人会いたかった小学校の担任、バスケの顧問だったK先生と4人でこちらへ。
一応、和歌山代表するお店やから?
もちろん、お酒飲むんだけど、乾杯したらこちらに顔を向けず外を向いて飲む・・・
年長者の前ではそうするんですよね?
お~~~~これぞ韓流ドラマやん!!
いやいや、驚いたわ~w
今は校長先生のK先生は教師より漁師(爆)
自分の釣ってきたアカイカを持ち込んで出てきたw
弟Yがいないので、仕事を大急ぎで帰ってきてT2も参加。
彼女とT2(彼はお姉ちゃんと呼ぶ)が意気投合。
大阪のお洒落~なお店を教えたりインスタグラムを交換・・・
ってどうやって話すの??w
そのまま、T2行きつけのバーへ。
ってあんこは車だしフロート(爆)
(スマホで色々交換してるわ)
遅くまで盛り上がりました~♪
ほんと幸せな夜だった~~
2年間通った小学校、左がバスケをしてた体育館、そのままw
「全然、連絡ないね~。元気なんかな~」とYに話をするといつも
「あいつは結婚する時には絶対、連絡してくるわ」と・・・
そんなことあるんやろか・・・もう32歳になるのに・・・とっくにしたのでは?と・・・
先月行ったホテルにも、実は3人で行ったことあるんですよね。
男子は近畿大会まででしたが(泣)、女子はミニバス(小学生のバスケット)の全国大会へ。
それに付き添い??
女子は県の宿泊施設だったのですが、私達はここで優雅にw
先月もホテルでYと彼の話が出ました。
その夜は、ちょうどサッカーの「日本ー韓国」戦!!
もう興奮して、3つのベッドをピョンピョン!!ホテルでも試合が行われてるかと思うくらいw
結果、韓国の勝ち~~(泣)
彼もその時のことをよく覚えてました。
まるで昨日のよう・・・
はい、Yの言う通りでした。
電話は「婚約が調い、来年結婚することになりました。お母さんにその報告に行きたいのですがいいですか?」でした。
キャ~~~!!こんな幸せなことありますか??
「もちろん、OKよ。ってただYがいてないけど?いいの?」(これはまた別の日に)
「残念ですが、今回はお母さんに会うのが目的なので」
う~~~な、泣ける・・・
で、↑婚約者を連れて関空に降り立ったのです。
私より先に見つけてくれたわ、これまた嬉しい♪
その婚約者は・・・
続くw
説明書には、結婚した二人の象徴だと書いてるみたい(汗)
YとSちゃん(なんと中1で同じクラスだった!)にG君のご両親から結婚祝い。
私へのお土産と一緒だったので思わず開けてしまった(汗)
ので、ついでにパシャしてから包み直しました(爆)
ぶんちゃんの知ってる子がいっぱいいるわ、もちろんYもw
ご存知の通り、文才もないので素通りしてくださいね(汗)
これも、忘れないように記録・・・w
それは20年も前、Yが小学5年生になった4月、始業式の日・・・
「
と、興奮して帰ってきたのを今でもよく覚えてます。
で、その日から我が家に毎日のように遊びに来るように・・・
しかも、すぐに和歌山弁を覚え「しちゃろか~(してあげようか?」と言ってるので
思わず「あんた、何人?」と聞いたら「僕、韓国人」と・・・
一瞬、悪いことを言ったかなと思いましたが全然平気、すぐにとっても仲良しに・・・
担任の先生も転任したばかりの男の先生。
春休みにYは「僕、クラブはバスケットに入るねん」と言ってたら、その先生はバスケ部の顧問でした。
全てが偶然というより必然だったんでしょうね~
Yのバスケ人生が始まったのです。
儒教の国、父親は絶対です・・・
しかし、彼は反抗期。
この地を離れる時にオモニ(お母さん)が
「あの頃は家では一言も喋らず・・・でも、無事に過ごせたのもKさんちがあったからと感謝してます」
知らなかったわ~なんてねw
はい、それから中1の終わりまでの3年間、ほんと我が家で過ごした時間の方が長かったかも?(爆)
その後も何度もうちに里帰り?
しかし、8年前(大学生)を最後に音信不通に・・・
はい、韓国には兵役があり・・・
日本の関係も難しく、日本が嫌いになったのかな~とか、もう連絡はないのかと・・・
いつもいつも、心のどこかに引っかかってました。
その彼から電話が!!
ね、嬉しいでしょう?
あ~糸は切れてなかったと涙しました。
出雲さんにも感謝w
続くw
夕方の関空は5分10分毎に到着、うちの電車は30分に一本なのに(爆)
あれはこの旅から帰ってきた次の日、一本の電話が・・・
T2にまだご利益ありませんがwあんこにはすぐに!!
やっぱり、一人運転して二人の面倒みたからよね~w
「Gです、ご無沙汰してます」
「え~Gちゃん?元気?」
「はい、おかあさんに会わせたい人がいるので来月行ってもいいですか?」
「もちろんよ~」
はい、私にはおかあさんと呼んでくれる息子がもう一人いるのです・・・
もしかしたら、縁の糸は切れたの?と、どこかでずっと引っかかっていたけど、繋がってた・・・
その日は
え?って?まさかあんこに隠し子がいるわけないよね~(爆)