ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

聞いたメッセージを振り返って

2020-07-02 23:03:33 | 信徒メッセージ
先週は、毎日、信徒メッセージが語られた。聞くだけでそのままにしていたけれど、ノートを開いて、自分でも調べて、復習した。 分かち合い会をする機会がないのでここに記録しておくことにします

聖句はへブル人への手紙10章1-4節 
教会では牧師だけでなく、信徒も連続講解説教をしているのです

旧約の時代には動物犠牲をささげても、年に一度、大祭司が動物犠牲をささげても、罪は思い出すのであった。
旧約のささげものはキリストにある本体の影であったから。

しかし、今や、神の御子イエス・キリストが、いけにえとなって十字架にかかってくださったことを信じた者は、罪が赦されている。
すでに救いみわざは完成されている。罪は赦されていて、クリスチャンは恵みの中を歩んでいるのだ。

イエス・キリストは復活して、今、天から聖霊を送ってくださっている。
聖霊の光に照らされて罪を意識した時には、同時にキリストの十字架と復活を思い出して、罪を告白し委ねれば良いのだ。
悔い改めて、信仰から信仰に進むのだ。

それなのに、私は、ついそれを忘れて、何かをしなくては、奉仕をしなくては、献金をしなくては、神に認められない、赦されない等と考えて、そわそわと動いて失敗したり疲れたりすることがある。それは律法的な生き方でした。

恵みの中を生きる者がささげるいけにえは、心からの讃美、感謝。そして自ら喜びをもって進んで払う犠牲であるはずです。

このように考えたのは、へブル書と第一コリントに、原語で、同じ言葉が用いられていることを教えられたことから導かれたのでした。

へブル10:3 ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。
1Co11:24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。


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命じておられるのは 「悔い改めよ」

2020-07-02 16:47:24 | 信徒メッセージ
先週、メッセージを聞く機会があったのに、聞き流していたことを悔い改めて、その箇所を開いて、自分でも学び直しました。

ヨハネの黙示録2章12-17節

ベルガモの教会に対して褒めている点は
サタンの住む町で殉教をも恐れないで主をあかしをして、殺された。
教会の人々は、それでも・イエスの名をしっかり保った
          ・イエスへの信仰を捨てなかった
ペルガモの教会に対して非難している点
神にだけ礼拝し仕えないで、神以外のものを優先させている人がいるのをそのままにしている。

命じられていることは
あなたがたは悔い改めなさい。他に何かをするようにとは命じられていない。
私に語られたこと、命じられたこと
コロナ禍で、信仰生活、教会生活、祈りとみことばの生活の優先順位が、自分の身体のこと、楽しいこと、欲望に従うことの後になっている。少しずつ回復して教会に集まることが増えて来た今、自分が何を大切にしているのかを再点検をして、問題であるポイントを自覚して、悔い改めます。

そうしたら与えられる祝福は
勝利を得る
隠れたマナ、永遠のいのちの糧、みことばを与えられる
新しい名が書かれた白い石が与えられる。新天新地への通行手形のようなものか? 他の人にはわからない神様との個人的な関係の中で与えられるもの。
そうしないなら与えられるものは
鋭い、両刃の剣で裁く、戦う。のろわれる。

結論
すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。宣戦布告しておられる主の御前に、今すぐに悔い改める。
そして、アンテパスが「わたしの忠実なわたしの証人」と呼ばれたような、忠実な主の証人となる方向に向かって行けるように祈ります



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