ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

アモス書から献身の思いが

2021-04-05 11:15:16 | 旧約聖書

アモス書8:9〜14とアモス書全体を見ました。何年か前には一度は読んだという印のメモ書きが残っているが、全く忘れているので、チェーン式聖書の緒論から読み直しました。

 

アモスとは(重荷を負う者)

ユダで羊飼いをしていたが、北イスラエル(ヤブアム王)に預言者として召し出された。聞けとくり返されることばに耐えられず祭司によって王に告訴されて、追い返された。今の日本は、外国からの侵略もなく経済上はなんとか繁栄しているように見えるが、実はコロナ禍その他の問題の中、困窮している人々がたくさんいる異邦人の国です。

 

神がイスラエルだけの神ではなく、全世界の支配者であると強調したアモス書は9:11は使徒;16-18に引用されています。私は、かつては、主のことばを聞くことのききんの中にいましたが、主のあわれみと選びによって、イエス・キリストのみことばを見い出し、クリスチャン生活を歩み始めています。

 

アモス書は1章から9章まで諸国対する審判、イスラエルに対する審判、イスラエルに対する計画を示して、その日、神の裁きが下る日、アッシリヤによる破滅が語られている。しかし9:11の「その日」から始まり、最後の9:15まで5節は、輝いている。アモスのことばを聞き続けることを拒まかった人々は、希望が与えられたことでしょう。

 

新約聖書の時代に住む私達は、ダビデの倒れている仮庵がイエス・キリストの出現によむつて建て直されていること知ります。蒔かれ、植えられたみことばの実が次々と収穫され、また収穫と同時に種蒔きをする弟子づくりの連鎖の中に置かれいることを思います。

 

未だ、不安、心配、暗やみの中で座り込んている人々のところに遣わされるなら、地の塩、世の光となって主の救いのみわざに用いられるのであれば、自分自身の思い煩い、重荷を主に委ねて、今一度献身をして、共にいてくださる主とともに、感謝と喜びをもって歩みます。

 

コロナによる死を恐れる人々の中で、私は、同じ死ぬなら、聖書に聞き、従い続けて、喜び感謝の中で死にたい。たとい問題に囲まれても、時空を越えて支配しておられる三位一体の神の総合的なご計画の中に身を委ねられる幸いを保ちつつ、それを他の人にも伝えて行きたい。天に宝が積み上げられることを期待しつつ。

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