お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

自己満足感は生きる活力になる

2021-06-25 04:50:41 | 日記

自己満足感は生きる活力になる

 

日々楽しかったことが一時でもあると、特に私のような歳になると

嬉しい一日だったいう満足感がある。しかし楽しいことは じっと

待ってては殆ど得ることはできず、自分自身で楽しく生きるために

知恵と行動を工夫する必要がある。

 

人間、誰でも最終的には自らの判断で生きてきている。それこそが

孤独耐性力を持っているからです。みんな自分ひとりの思考と価値

観を信じて生き抜いてきている。所謂、自己満足の世界であり、理

想的な生き方であり、次なる活力となると言えると信じている。

 

これから生きて行く中で、自分の欲望を満たして楽しさを感じさせ

てくれることは、いろいろあると思うが、可能な範囲で自らの好奇

心と価値観を素直に表現すれば、素晴らしい満足感を得ることがで

きると私は思っている。

このように毎日、ブログを書くことも一つの自己満足の表現で楽し

みでもある。

 

 

 

 

 

 


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約2ヶ月ぶりのトレーニングは散々

2021-06-24 05:18:09 | 日記

約2ヶ月ぶりのトレーニングは散々

 

20日で当市の「まん延防止等重点措置」も解除され、マンション内の

共用施設も翌21日から使用できるようになった。一作日は2ヶ月ぶりの

指導員によるトレーニングをフィットネスルームで行ったが、この2ヶ

月間、自主トレを充分に行わなかったせいか、体幹機能の殆どが以前

(トレーニング開始前)に戻っていると、言われてしまった。

 

やはり、一人狭い室内で出来る自主トレも限界があり(言い訳(笑))

どうしても中途半端になり、専門家が見ると一目瞭然で、猛省である。

よって、一昨日のトレーニングでは、今迄と同じことができなかった

りで悔しかったが自業自得である。

 

次のトレーニングは来週だが、今日補習をお願いして、指導して貰える

ことになった。自分では真っ直ぐに寝ているつもりが、私の場合はどう

しても左側に傾いてしまう傾向があり、後遺症による体幹機能の低下で

指導員の指示が、反射的に身体が反応できないこともあり、多少ショッ

クだがトレーニングを再開すると、反射神経も蘇ってくると信じ、継続

することの大切さを実感した再開初日であった。

 

 

 

 


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現代社会での「自由」とは選択である

2021-06-23 05:54:14 | 日記

現代社会での「自由」とは選択である

 

「人間的欲望の本質は自由である」と言ったのは、ドイツの哲学者

のヘーゲルである。ただ本能のまま生きている動物とは違って、人

間は必ず「自由」に生きたいと思っている。人類の歴史はその自由

を求める戦いの歴史そのものである。

 

しかし、現代をとりわけ先進国に生きる我々にとって「自由」の価

値はその本質を失ってしまったように思う。つまり、現代の我々は

過剰な「自由」の中で、むしろひどく「不自由」を感じてしまうこ

とがある。また、過酷な「自由」競争の中で我々は、しばしば惨め

な思いを抱かされていることがある。

 

「自由」の名のもとに熾烈な競争を続けてきた結果、今や深刻な格

差社会に至ってしまった。「自由」は時には「平等」を破壊する。

所謂「自由」と「平等」の二律背反である。こうして現代において

「自由」は我々にとっては、もはや最高の価値ではなくなり、むし

ろ苦しめるものですらあり得る。

 

結局、現代社会の中で生きている以上、我々は「与えられる自由」や

「勝ち取る自由」から選択して、自分らしく生きるための本質の「自

由」を掴み取ることが大切であると私は思う。


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ブログの表現方法は様々である

2021-06-22 05:41:01 | 日記

ブログの表現方法は様々である

 

最近よく他の方のブログを拝見させて貰ってるが、やはり画像を中心

としたブログが多いようである。今回は私もそうだが、文章だけのブ

ログについて感じたことを書いてみる。表現方法は様々で、優しい語

り口調・会話的表現・方言(特に関西弁)的口調・私のような断言的

表現・勿論、日記そのもの等、表現方法を上げると、書く人の数だけ

あると言っても過言でない。

 

私が個人的に好きなのは、大阪弁で書かれてるブログである。まるで、

落語を聞いているような錯覚に落ちるような途中で自らに「突っ込み」

を入れたり、最後には「落ち」付けないと気が済まないようで、大阪人

のプライドのようなものを感じて、理屈抜きで楽しい。

 

私のブログの表現方法は、語尾をほとんど断言的に書いていて、それは

自分が考え出した結論をブレないで言い切ることで、続く展開の表現が

定まってくるからである。それはブログというカテゴリーの中で自分の

想いを自由に書きたいと思う表現方法で、最後には自らの思いであると

書き終えるようにしている。

 

結局、ブログの表現方法は、個人によって、キッカケも目的も様々で、

勿論、表現方法も自由である。そして誰に向けて書いているかによっ

ても表現方法は変ってくる。ブログという自分だけの世界で自由に好

きなように表現することが大切で、そして読者側の受け止め方も様々

であると私は思っている。


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日本人は群れることが好きである⁉

2021-06-21 05:26:04 | 日記

日本人は群れることが好きである⁉

 

日本には他国にあまり見られない特性の一つに、群れたがるという

習慣があり「日本人は群れる」ということに定評がある。それは日

本独特の同調圧力が、それを齎したと言われている。コロナ禍でも

同調圧力が顕著に現れ「自粛警察」や「マスク警察」のように他人

に対して自由を許さない心理も同根である。

 

典型的な群れである政党の派閥は、同調圧力で異なる見解を許さない。

子供であっても皆と同じようにしていないと、仲間外れになったり異

端扱いされたりするので、親も同調することを勧める。目立たず、同

じことをする行動特性が、独特の価値観を生み出してきた。

 

では、何故日本人は群れるようになったのかは、やはり同質を求める

教育制度にあり、多感な幼少期における長い集団生活の中で、同調圧

力によって群れる習慣が染み付いてしまうようだ。これは機会平等で

はなく、見た目平等なだけであって、個性を伸ばすどころか潰してし

まうことになる。

 

では、同調圧力に負けないためには、孤独を好み、孤独に強い、所謂

「孤独耐性力」を身に付け、個性を認め伸ばす教育制度改革と、集団

主義的な「群れ」から、個人主義的な「個人」へ勇気と自信を持って

脱出して「孤独耐性力」を個人一人一人が身に付けていくことが大切

だと私は思っている。


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