伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

素暮 に捧ぐ

2007-06-11 20:21:18 | Weblog

生きて行くことは、厳しいことです。
必ず、苦労や悲しみが 順番 に尽きないように来てくれます。

私達は、この世に やっと生まれて 来ました。 これは、私の
記憶です。私は、母親のお腹の中に居る時は、断片的な記憶
しかありません。両親の顔や部屋を、気がついた時に見てる
だけでした。生まれる為に、産道を通る途中から目覚めた
意識は、現在と同じ感覚で全て記憶をいまだにしております。
母の体から離れた直後の、息が出来ない苦しさ。看護婦さん
が息をしない私のお尻を叩き、それでも駄目なので熱いお湯
に私を漬けたのです。その時、現世で初めての息をしました。
その時、私が思ったことは、
”やっと生まれたな。 生き切ってやろう。” でした。

釈尊は、人間は 生 老 病 死 を避けられない、と言い
ました。人は、生まれたからには、いずれ年を取り、老いて
病に成り、死ぬのです。 釈尊のように、悟った覚者でも
やはり、老いて病になり死んだのです。 覚者でも、病気を
体験せずには、死ねません。病気になれば、不自由で
惨めでしょう。 でも、それが正しい姿なのです。

私が感じる神は、人の人生は一瞬なので、出来るだけ苦労
(明るくこなす)して、ご利益なんか受けずに、最後は惨め
でも、すべてに感謝する心があれば、成功者であると
伝えます。
自分の心の刀が折れるまで、悔い無く 生き切りましょう。

生かして頂いて ありがとうございます

   
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コメント (84)
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