伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

恩人の法要

2007-06-22 19:57:55 | Weblog

明日から2日間ほど大阪へ行きます。
私の大恩人の49日法要があるのです。
恩人が亡くなられたのは、5月11日(金)でした。
その金曜日の午前9時過ぎに、心臓停止があり、その後
持ち直しましたが、金曜の夜11時過ぎに亡くなりました。
私は11日の午前9時ごろは、仕事中でした。その時間の
頃に、私の心中に大恩人が現れて、ニコニコしながら
”頑張れよー”と私に語りかけて、そして離れて行きました。
あれ?と考えている時に、私の携帯が鳴りました。
嫁からでした。たった今、大阪の恩人の奥様から電話が有
り、恩人が危篤だから、出来ることなら最後の顔を見に来
てやって貰えないかとの事でした。
私を最後まで、家族同様にして下さることに、恐縮し嬉しく
思いました。すぐに途中退社して、大阪へ駆けつけました。
恩人の御長男さんの病院の診察が夜8時に終わるので、
それを待ち、御長男さん、お孫さん、奥さん、私達夫婦で
少し離れた所にある、専門の集中治療病院へ1台の車で
行きました。久ぶりに会った恩人は、小さく痩せていました
が、顔立ちの品の良さは増していました。人口呼吸器が
付けられており、意識はありませんでした。
ベットの側に、恩人の産土神が立っているのが観えました
それを感じ観た時、ああ 駄目だなと思い、また大往生す
る証拠でもあるので、複雑な心境でした。
私は、心中で ”恩人、もう良いですよ。あなたは立派に
最後まで 生き切り ましたよ” と声をかけました。
そして、恩人の自宅に戻り1時間ほど談笑している時に
病院から死亡の連絡が入りました。
不思議なことに、毎週金曜日の午前中は、恩人の存在を
感じてきました。本当に死亡した時間は、午後11時では
無く、最初に心肺停止した午前9時ごろなんですね。
週命日の不思議さと、49日を過ぎると本当の別れに成る
寂しさを今、感じております。
自分自身の内在神である産土神は、人生すべてを共に
過ごし、全てを知っています。最後は、内在神と共に帰神
出来るような、生き方をしたいもんだと強く思いました。
今日も 生かして頂いてありがとうございます

  
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太神の思い

2007-06-22 15:15:18 | Weblog

今朝、出勤途中の車中のラジオから良い話を聞きました。
トルコ国の軍艦エルトゥールル号が1890年、和歌山県熊野灘
で遭難した事件が昔ありました。587名が死亡する大惨事
でした。生存者は、たったの69名でした。この惨事を聞いた
明治天皇は、国家として出来る最大限の援助を生存者に
尽くし、無地に遠方のトルコ国まで送り届けました。
この日本の対応について、トルコでは今だに学校の教科書
で伝えられているそうです。
1985年8月にあったイラン・イラク戦争の時に、サダム
フセインが、イラン空域を飛ぶ民間機を容赦なく撃墜すると
声明を発表しました。期限の時間が後、数時間にせまり
イラン在住の日本人2百数十人が取り残され、空港はパニック
状態でした。当時、既に日本の航空機はイランに入れず、
他国の航空機はその国の人達を脱出させるのが最優先と
いうことで日本人は絶望視されてました。もう、日本政府も
お手上げ状態の時、民間の商社マンから事情を知ったトルコ
政府は、緊急命令を発しジャンボ機を2機派遣して、砲撃が
始まる1時間前に、残留する日本人全員を乗せて離陸しま
した。奇跡のようなことでした。
さて、100年前に明治天皇が作った縁が、100年後に
発動したのでした。明治天皇は霊能者で、天照太御神の
波動を常に受け取っておられたと感じます。
この日本に生まれた人間は、外人も含めて全員が天照神
元の産土神として、その因子を内在しております。
天照太御神が日本と住民を守ろうとされるのは、それが
世界の人々の為にいずれ成るからだと、思えてなりません。
凄い、エコヒイキを我々はされているかも・・・・・。

この国で 生かされて いることに感謝します。

  
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