伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

霊的師は害悪

2009-03-28 10:45:45 | 禅の言葉

精神世界において師弟の関係を重視したり、自分が誰々の
弟子だと言う事を誇りにする先生様は駄目です。
その言葉だけで、自らの霊性が低く半端者である事を宣伝し
ています。このような先生の実際の霊性は、社会で働く人間
の半分も発露していません。
自身の内在神が隠れ、他人の霊的色に染まる事を良い事だ
とする、致命的な勘違いをしている人間です。
こんな人間が更に自分の弟子を持ち、ロボット人間を増やし
ています。 伝授などと称して、個人が持つオリジナル霊性
(根源存在に直結しています)に垢を憑けます。
弟子は弟子で、垢の「違和感」を初めての感覚として喜び
歓喜しています。

禅の世界ではよく、
「師に会ったら師を殺せ、仏に会ったら仏を殺せ」と言いま
す。とくに一休さん、そして白隠や道元も似た意味を示唆して
います。 これのハッキリとした説明が残されていません。
これらの大悟した先達の後に、組織運営をするにあたり支障
があるからです。 説明が無い、あやふやな状態で言葉だけ
が継承されました。
後世の人々は「他人を頼らないこと」「自己内に向かわせる
方便」などに解釈されています。
真実は、そんな甘いものではありません。
一休さんは、二十歳代半ばで大悟した時、
「ははあ~ん、俺は何と遠回りをして来たんだ。」
「俺を迷わした張本人が憎い。」と真底怒ったのを感じます。
その後の彼の行動は、仏教界の常識を破る強烈な嫌味の
パフォーマンスの実践でした。 「人間」を惑わす師匠などの
存在は、勘違いの元であり「師に会ったら師を殺せ」の言葉
のままを本当に思っていました。

道元は形式に拘らず、ただ「座れ」と言いました。
ラマナ・マハリシは、
瞑想をしてはいけません。ただ、そこに在(あ)りなさい!
そして、あなたは「在ろう」と考えてはいけません。
ただ、在りなさい!
では、在るとは何か?についても考えてはいけません。
何故なら、あなたは既に「在る」からです。
と、言いました。

人間として生まれた時点で、既に「大いなる存在」を宿して
いるのです。後は、限られた時間内を、大いなる存在と共に
歩いて行くだけなのです。

この物質世界である現実界は、時間も含めて全てが
「縦の流れ」です。
先生と生徒。上司と部下・・・の様に、主従関係が大切です。
これを尊重しなければ生けません。
物質世界の知識は、先に学んだ者が後者に伝達する事が
できます。伝達作業には、お礼も当然発生します。
しかし、精神世界では全く違います。
精神世界は、大いなる存在の前に「横一列の世界」です。
横並びの世界で、師弟関係は有り得ません。
人間の霊的師匠なんて、大いなる存在の前では罰当たりで
愚かな人間にしか写りません。ましてや、大いなる存在を匂わ
せて金銭を弟子から吸い上げていれば、大いなる存在でも
怒ります。 私は、あなただけのモノでは無いと。
大いなる存在の前では、全員が横並びの同列で完全なる平等
です。
さあ、あなたのままで良いから、安心して転げ回って下さい。
この言葉を胸に、

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

応援して下さる方は、この3箇所をクリックして下さい。
クリックして現れるランク一覧の中から伊勢白山道を押してね。
初めての方は、まずCATEGORYの「初めての方へ」、先祖供養については
BOOKMARKの「短冊と線香による先祖供養ダイジェスト」をお読み下さい。
読者のコメント欄には、大いなる学びが有りますので必読です。

クリックは毎日してね!

コメント (311)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする