伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

全ては1つに帰る

2009-06-04 11:12:50 | Weblog
釈尊が誕生されたインドでは、古来から庶民が亡くなっても
御墓を造る習慣がありません。現代でもそうです。
遺体を火葬して、川に流して海に帰すのです。
原始時代に生物が海から誕生して、陸に上がった道理から
考えても、陸で死を迎えた生物が海に帰るのは正しい循環だ
と思います。川の水に乗って海に帰るという、とても神道的な
世界観がそこにあります。

釈尊が生まれた仏教の元祖の国には墓が無く、仏教伝来の
離れた終着点である日本には御墓だらけです。
釈尊は、現代の日本仏教が行なう死者への作法を全く知りま
せん。もちろん、釈尊は御経さえも全く知らないのです。
日本人が唱える御経を知ると、無意味な音の羅列に驚かれる
でしょう。全ての御経は、釈尊の死後数百年後に作成された物
ばかりです。しかし、仏教や経典を信じる根拠の一番の拠り所
は、釈尊の存在です。 
つまり、霊的根拠が何も無いのが日本仏教です。
釈尊が「知らない」事を頼りにして、死者を葬って来たのです。
釈尊の名前の下に・・・。これは恐ろしい事です。 
正しく死者を送る事が出来ないのはあたりまえです。

では、日本に仏教式の御墓が広まる以前の死者への対応は
どうだったのか?
縄文時代頃から、合同の墳墓だったと感じます。
住居から離れた場所で、遺体の上から土を被せる土葬です。
死者が出る度に、隣接し並べて土葬します。
時代が経ち、横に広がり場所的に限界が来ると、上に重ねて
土葬が繰り返されて小山に成ります。
これが、現在の天皇家の古墳の原型に成ったと感じます。
天皇家は一名ごとに、大きな小山の古墳を作りましたが、
本来は土葬が繰り返された結果で出来る形です。

太古は、人が死ぬとは大自然に帰る事。つまり自然=神様の
一部に成ったと考えました。
神道の原型は、恵みをもたらす大自然=神へ「感謝する事」
しかありませんでした。だから、死者にも感謝の気持ちを捧げ
ていました。 太陽の動きに合わせて、決められた時期・季節
に合同で感謝の磁気を先祖霊へ捧げたのです。

現代の仏教は、御金が掛かり過ぎて不要な行為が多すぎま
す。肝心な事である、死者へ感謝を捧げる視点と行為が欠落し
ているのは残念な事です。それぞれの宗派の中で、死者への
感謝を現す表現を取り入れて、地域での死者を弔う活動が
される事を願います。この活動をする為の生活費を地域住民
からの寄付に依存するのは仕方が無いですが、住民からの
自主的な寄付がされる様に、寺社側の良心に基づく活動が
大事です。
日本神道は、死者の葬儀を仏教に渡した事は間違いです。
穢れの思想により、神様と死者を切り離してから日本の霊性
は、縄文以前からの正しい霊性を無くしていきました。
神様を独占し、専売特許の売り物にする様な管理体制だけが
進展したと感じます。流派ごとに独自色の祝詞を捏造して、
自己主張ばかりが目立って来ました。
そんなものは、神様に一切通じません。

神様と死者を分断する事なく、感謝の一念を捧げる行為を
復活させる事が大切です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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