伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

お返しは難しい

2009-06-22 10:12:08 | Weblog

日本では、お中元の習慣があります。
頂いた側は、お返しを如何様にするか悩むものです。
品物で返さない場合は、普段の付き合いの中で何らかの配慮
という形で返す事になりがちです。
要は返し方が難しいのです。
公人の場合は返し方を間違うと、贈収賄で逮捕されるかも知
れませんね。「返す方法」は、命取りにも成る難しいものです。
これは、霊的世界の事にも言えることです。

熱心に神社で祈願する人ほど、病弱に成る事があります。
自称教祖は、死ぬ時は奇異な死に方に成るものです。
なぜ熱心な人ほど、その様に成るのか?
それは「返す事が出来ていない」からです。
借りを作ったままで御返しをしていない、または御返しが届い
ていない
為です。 返さない分は、見えない形で何かを失い
ます。寿命や健康、子孫・・・色々な表れ方があります。

誰でも「願を掛ける」のは熱心にするものです。
でも叶えられた場合、御返しが疎かなのです。
ここで厄介なのは、御返しが大事だと知って、お礼参りに行っ
ても届かない場合が多いのです。
3回願掛けに行って叶った場合、お礼参りは1回で済ませてい
る人が大半です。お礼参りの1回の時に、願を叶える為に動い
た眷属が不在の場合もあり、不受理な状態のままである事が
多いのです。
この様な目に見えない貸し借りは、本当に厄介なものです。
要は最初から借りなければ良いのです
見えない存在には借りを作らず、逆に「与える」だけをしていれ
ば間違いはないのです。
何があろうとも、既に自分が生かされている事を感謝するだけ
で十分なのです。良く清掃された神社には、見えない神気の
「鏡」が必ず在ります。この様な場所において、生かされている
事への感謝を捧げますと、「神気の鏡」に反射して自分の
内在神に届き易いのです。
すると、自己の内在神が発露して自ら好転する現象が起きま
す。いちいちリスクの有る面倒な願掛けなどは、絶対にしては
生けません。

過去に願掛けをした経験があれば、これからは感謝を捧げる
行為1本で行き、日々の感謝供養と神様への感謝想起により
修正されて行きます。

神社や「目に見えない方法」に頼る事は、最終的には損をし
ます。 この世は、色々な形での貸し借りによる縁で回る世界
です。サラリーマンは会社に労働を提供して、その代わりに
給与を得るのです。 タダで得をする事は、ありません。
必ず何らかの形で帳尻が強制的に合わされる法則が存在して
います。
与える、出す事を意識した生活は、逆に「与えられる」因縁を
造ります。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。

コメント (529)
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