伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

届く届かないよりも体験する

2009-06-26 10:48:43 | Weblog

伊勢白山道 :
供養が届いていなければ、止めることになります。必ず。
つまり、供養を続ける間は、届いているのです。
読者 :
供養という言葉は、どうしても何か特別なことをしている感覚にとらわれてしまいがちですが、リーマンさんからコメントをいただき、供養というのは、たとえば離れて住んでいる親に電話をするようなものなんだなと思いました。
親に電話して「元気で過ごしてる?」とか「最近どうしてる?困ったことはない?」とか積極的にコミュニケーションをとり続ければ、親の心に必ずなにかしら届くはずです。でも、電話口の親がいつも無反応でこちらの心が届いていないのであれば、いずれ電話する気も無くなり電話をすることを止めてしまうことになります。
だから線香供養が続くということはご先祖様とのコミュニケーションが(無意識下で)成り立っている、つまり届いているということなんですね。
そこまで思いが至ると私もそうですが線香供養のやり方やご先祖様の反応を気にし過ぎている方も多いようですね。
電話をもらう親はきっと「電話をくれただけでもうれしい」と思ってくれるでしょう。

感想 :
これは、的確な表現がされていると思います。
忙しい生活の中で、先祖供養を自分なりに行なうだけで、既に
届いています。 ただ、その供養方法が、
「感謝の気持ちを自分が分かる言葉で思うと、より先祖霊に
届きやすいですよ」と、伊勢白山道では言っているだけなの
です。
しかし、私は自分自身が行なう先祖供養が届いてなくても別に
良いと考えています。(驚いた?)
何故なら、自分がしたいから供養しているだけなのです。
先祖供養とは、自分の良心との対話です。
この世の霊的諸相を深く知れば知るほど、生まれ出て存在して
いる奇跡を思い知ります。
命を繋いでくれた先祖には、感謝せずには居られないから
感謝をしているだけなのです。人間は、自分が親から生まれた
奇跡をもっと意識しなければ生けません。
アタリマエにした上で、更に不満感を持ちます。
この世に生まれ出た事により経験する辛さの為に、自分が
出生した事や親を恨んでいる人もいます。
でも、これは本当に自分自身が望んだ事を忘れているだけ
なんです。 始まりと終わりが有る、冒険の旅コースを体験して
いるのが今です。
旅のコースには、全員共通の性・老・病・死の負のハンディを
体験する課題が、個人それぞれの配分で準備されています。
この四苦の間に、自分なりの課題を自分で決めて配置もして
出発しています。
旅行中に、
1.同じ様に旅する今の隣人(縁ある人々)を助ける事。
2.今回の旅を経験できるように、コースを空けてくれた先輩の
  旅人(先祖霊)に感謝する事。
3.時々現れる旅行会社のインストラクター(眷属・聖霊)にも
  感謝する。
4.旅行自体が出来る舞台を提供した存在(神様)に感謝する

この4つを旅の途中に行なうと、課題が軽減されて楽しく旅行
が出来るルールがあります。
旅行は、努力により大きく改善する事が可能です。
特に2番は、同じ出発点を経験して間もない、全てを知る先輩
です。 一番的確で強いサポートをしてくれます。
3番4番と上に行くほど、旅行のルールを壊すような事が逆に
出来ないのが真相です。
しかし、無免許のインストラクターも存在していて、甘い誘惑と
交換に所持金を巻き上げて、旅行を途中で強制終了させる輩
も徘徊しています。

旅のコース途中に在る、金塊の隠し場所、水飲み場、食料を
調達する手段を知っているのは先輩の旅人です。
先輩を期待して利用しようとすると離れ、感謝だけしていると
助けて頂けるルールも存在しています。
あなたは今、旅行中です。 楽しんでますか?笑。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (358)
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