伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

生まれた時点で祝福

2010-09-03 10:23:11 | Weblog

よく掃除された神社の参道を歩く事は、とても霊的な浄化の過程であり、すでに最高の御祓であり、とてもスピリチュアルな事なのです。
良い神社ほど参道は長いものです。ただ、ムダに歩かせている訳では無いです。
参道の正中(せいちゅう:道の真ん中)を「意識して」歩くことは、無言の教えに満ちています。釈迦が達した悟りの精神である中道(ちゅうどう:すべてに偏らず、執着しないこと)と同じ意味が在ります。
真ん中を見ながら人生を歩いて行くのが、その人にとって結局は最善であり、幸福への最短となります。
真ん中ではおもしろくないと、極端を目指すのも良いですが、それは継続はしないのです。
(参道は正中を意識しながら、参道の片側の幅の中を歩きます。正中の真上は歩きません)

参道の行きと帰りで、1つの人生を霊的に表しています。
しゃべりながらも行くのも人生。真剣に歩くのも人生です。
ただ、神気の在る参道では、自然になんとなく無言で歩いているものです。
参道(産道)を通過すれば、参拝の意義の半分以上は既に終了しています。最後のシメは、本殿で手を合わせて感謝をする。
つまり産道を通過して、この世に自分が生まれたことに感謝をします。
これが、その人の運気を正常にククリ直し、運気を高める最善で最高な方法です。
自分が生まれた奇跡を、恨み、ヒガミ、当然としていては運気が上がりません。
ましてや、あれを欲しい、これを叶えて欲しいと、命を産み出す存在に言うのは、間が抜けていてダメなのです。普段の自分の感情も同様です。
今があることにまず感謝をすることがないと、今と未来の間が抜けているからダメです。

間=空白を創れば、その上には何も積み上がらないのです。
「生かして頂いて ありがとう御座います」と原点(神)に対して感謝を捧げれば、いくらでもその上に積み上がって行くものなのです。

現状が苦しく悩む人は多いです。
でも、その苦しみも期間限定であり、必ず終わる時が来ます。
人間は生まれた時点で、切れなかった先祖の流れの結晶体が生まれたのです。その切れなかった遺伝子の流れの先には、神様が存在します。
もう既に、生まれただけで神様と一体なのです
では、今に体験している色々な思いは何か?
新たな始まりを自分が創造しているのです。どんなに苦しくてミジメでも、自分が生かされている原点(内在神)への「感謝」と「思いやり」を忘れなければ、絶対に大丈夫です。
お任せ(=カンナガラ)の心境(しんきょう:神の鏡)が発露して来ます。
必ず真の幸福(心の安心)を垣間見ることでしょう。
静かに微笑みながら、人生を静観して、何事にも感謝をして生きれば絶対に大丈夫です。神様と先祖霊からの「一押し」の応援が起こります。
なぜなら、「生きる間は」いつも内在神と繋がっているからです。


生かして頂いて ありがとう御座位ます


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コメント (584)
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