伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

誰もが自分の善性に負かされます

2010-09-11 11:57:56 | Weblog

いよいよ死を迎えようとする人の多くは、「もっと他人のために出来る事をしたかった」と、心から思っていると神霊は伝えます。
そして、清らかな涙をボロボロと心の中で流しているとも。
どんな悪人であろうと、犯罪者であろうと、善人であろうと、素直にそう思える様に成るのです。
この時の本人の状態は意識不明などであり、いよいよ肉体が弱り、自我が強制的に薄れ始めているのです。
どんな人間も、自我と言うカラ(空:まぼろし)を一皮むけば、そこに現れるのは神性なのです
そして、公平な神性の視点から、今回の自分の人生を振り返るバルドォ
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/42500ffa369a71867e738e
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)へと入って行きます。

この真理を知っているだけで、会社で理不尽な人間が居ても、「気の毒な人だなあ」「損な人だな。自分自身をいじめているなあ。」と、あまり腹も立たずに静観することが出来るものです。
ただ、善悪が本人に反射する時間が見えないだけに、静観がしにくいのは確かです。
どんな職場にも、学校にも組織にも、嫌な人間は絶対に居ます。どこに逃げても、必ず居ます。家庭にも居るかも知れません。
これを避けようとして、自分自身が右往左往するのが一番損です。ただ、自分も心に神性を持つのですから、自分の心を傷めるのだけは避けましょう。
そして、どんな環境の中でも、自分の心だけは守ろうと決意をしている事が大切です。
嫌な事に遭っても、自分の心までには響かせない、届かせさせない、と決意することが誰でも出来ます。ただ、こんな仕組みを考えた事も無い人が多く、他人から傷付けられています。

このような自分の心を自分で守る意識を持たなければ、自分にとって嫌なことが有れば、いつまでも引きずって心の中で反芻(はんすう:繰り返し執着すること)してしまいます。
最終的には、自分の心を傷付けるのは、嫌な他人では無く、それを自分の心に「受け取った」自分自身なのです
人間は、性別を超えて母性と言うものを求める本能を持ちます。
母性(神性)とは、与える一方の存在だと自分の魂は本能で知っています。
子どもは昆虫や植物を「育てる」のが好きです。親は子供にたくさん「食べさせる」ことは嬉しいものです。
これらも、人間が持つ母性(神性)の一部の発露なのです。
自分の心に、嫌な感情を受け取らずに、思いやりを配る体験をさせて行きましょう。
そうすれば、必ず自分の心の内在神が発露して、見える現状が変わり出します。カンナガラ(神様と共に生きる状態のこと)の人と成ります。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


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コメント (623)
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