伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

どんな神様と向き合うかは自分次第

2010-11-11 11:31:50 | Weblog

神には人間的な善悪はなく、その両面の要素を超えたところに神の本性があります。
要は人間側が、「神様のどの面を見ようとするのか次第」であり、それにより神は自在に、この世での表れが「変わる」のです。
だから現実界において、どのような神様を引き出すのかは人間側に責任がありますし、個人にも日々起こっていることなのです。
これは、神霊を勧請(かんじょう:神仏をお呼びすること)する時の、忘れてはいけない視点なのです。
悲しい気持ち、怒り、攻撃、個人欲の気持ちを持って参拝をしますと、その時に寄る神気は、同種類の邪気です。
感謝の気持ちで参拝をすれば、感謝をしたく成るような有り難い神気が寄ります。
同じ場所でも、私たちを照らす鏡のように神気は瞬間で変わります。変幻自在です。イニシアチブ(主導権)は、参拝者にあります。

これが、観世音菩薩の御顔が11面(無限の顔を持つ意味)である訳でもあります。
「あなたは、私(観音様)のどの顔を拝む(見る)のですか?」と、逆に観音様から参拝者は聞かれているのです。
以上のことは、ある意味では神意のネタバラシでもあります。
これを知らなければ、各人の本性に合った霊的存在を自分自身で寄せて、それ相応な現状と成ります。
願い事ばかりする人には、同じく参拝者を頼りにする迷う霊的存在が寄ります。その願いは叶いませんし、むしろその願いを妨害する霊的ハンディを呼びます。
感謝だけをしている人には、感謝がしたく成る物事を与える霊的存在が寄ります。
神などいない、と思う人には神は居ません。(心の深奥に隠れます)
神が内在する、と思う人は、神と一体と成り最善へと自然に「自分で歩く」ことに成ります。

この世は、本当に自分次第で「変わる」世界なのです。
ただ、自分の思いの反射からの反映に時間差があり、あきらめ、信じられなく成るだけです。でも、それでこそ自分の魂の本性が出るのです。
私たちは、本当は自分自身を見るために、この世に来た意味があります。
神様も、自神を観たくて、神の反射の産物である生き物を産み出していると言えます。
どんなに惨めで苦しい現状の人も大丈夫です。神様も共に同じ体験をしています。
この世の消えて行く物事に負けないで、心に神様を抱いて生きましょう。
神様の元に帰ることに成ります。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典


簡単な表現の文章ですが、強い改善力を目覚めさせる本です。
だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる
修正点です。174ページ4行目の続きには以下の文面が入ります。
「いかないのです。まずは、心に神様を意識して生きましょう。」


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コメント (478)
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