伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

反射する世界なのです

2010-11-26 11:54:20 | Weblog

人間は自分が他人に出した思いやりや慈悲心(じひしん:愛となさけ心)により、相手よりも自分が救われて「いる」という霊的側面があります。
他人に思いやりを向けたところで、それが相手に影響しない、理解もされない、というのが普通です。
ただ、自分がそのような気持ちを他人に持ったという事実が大切なのです
要は人間とは、自分が「他人に」出す気持ちにより、今とこれからの自分を形成するのです。
普段の自分が、どんな気持ちを「他人に」持っているのかが大切です。

脳内で他人を罵倒している人は多いです。
ただ、それをしている間は、自分も他人から罵倒される未来を絶えず形成しています。やはり損な気持ちです。
生きるすべての人間は、内在神という鏡(カガミ:神我見)を持っています。
その相手のカガミに、自分の気持ちを投射(とうしゃ:投げかけること)した内容が、自分自身を構成していく法則が在るのです。

これを分かりやすく説明しますと、私たちがスプーンで目の前の食物を食べているとします。
自分の口にスプーンで食物をどれだけ入れても、消化せずに流れ出るだけで身にならないのです。
ところが他人の口へと、自分がスプーンですくって供給した食物だけが、いつの間にか自分の胃袋に収まって自身の栄養に成るのです。
要は、自分「だけ」では食べられないのです。相手に食べさせた食物が、霊的に自分の胃に収まるという反射の世界が、この世の真相なのです。

たくさんの子供たちにご飯を食べさせている時の母親の視線には、満足気な愛情があります。母親自身が食べている時よりも、子供が美味しいと言いながら食べる姿を見ているほうが嬉しそうです。
子供たちに食べさせた分の霊的な何かを、母親自身は受け取っているから満足気なのです。
以上のことは、仕事でも何にでも言えることです。
他者に与えたモノは、いつか自分が受け取ることに必ず成ります。
生死の次元をまたいでも、絶対にです。タイムラグにより、このことが関連付け出来ないだけです。

だから、先祖供養が素直に出来る人は、素晴らしい人です。
供養しても何も見返りが無い、してもムダだと思われる現実界の中でも、先祖供養が出来るのは、まさに自分自身の慈悲と思いやりの気持ちの発露からです。
この反射により、先祖も「自分もいつか」必ず救われます。これは、当然な道理と法則なのです。
信仰とは、白黒の答えが出ないことにこそ、自分の本性が試されています。
やはり、この言葉の気持ちで生きて行くことが最善です。それが、

生かして頂いて ありがとう御座位ます


人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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タイトル名に必ず、質問、と記入してください。
病気や体調については、医師の診断を受けて優先してください。ここでの話は、
あくまでも参考意見です。


全ての質問と疑問の答えが、この本にあります。
読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典


簡単な表現の文章ですが、強い改善力を目覚めさせる本です。
だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる
修正点です。174ページ4行目の続きには以下の文面が入ります。
「いかないのです。まずは、心に神様を意識して生きましょう。」


リーマンの最新著書:伊勢と白山の統合写真集。価格も奉仕です。
伊勢神宮から白山へ、その聖なる軌跡

コメント (535)
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