伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

性別を超えた人

2010-11-20 10:48:22 | Weblog

老人介護の報道をTVで見ました。取材された家庭は、80歳を超える方が、認知症で動けない高齢女性を一人で面倒を見られている家庭でした。
介護をしている老人は、女性の世話をしていて背骨を疲労骨折されていました。だから上半身だけが、不自然なほど折れ曲がっていました。
普通ならば、介護をしている本人が入院、もしくは介護をされていても当然な感じに見えました。しかし、その介護人は料理を自分で作り、一口ずつ女性の口に運んでおられました。
老人が老人を介護する老老介護の典型でした。いや、怪我をしている老人が、認知症の老人の世話をするという深刻な介護でした。
介護人は、女性が叫ぶ意味不明な言葉にも、優しく丁寧に一つ一つ返答されていました。

その様子を見ていて、私には介護をする人の性別が分かりませんでした。どうしても性別を超えた観音様に見えたのでした。薄く輝く金色の霊体にしか見えなかったのです。私の家族にその方の性別を聞きましても、意見が分かれました。
まさに生きながらにして、人間が中性に向かう見本のような人でした。
その心境に至るには、どのような宗教的な修行者も敵わないでしょう。間違った信仰をすれば、蛇のような生々しい黒い光しか出せません。その性別が増々いやらしく強調されるのです。

人間は、どんな道を選択しても、その中で懸命に自分の良心を発露させることが出来れば、神様の元へと至るのです。
あの介護人は、施設に認知症の老人を安易に預けることを不びんに思い、自分が出来る最大を尽くして死んで行く「覚悟」をしていると感じました。
TVを見ていても、決して暗さを感じさせませんでした。
高齢であることも含めて、既に「性」老病死の苦悩を超えた心境を見させて頂きました。

地球上での人間は、生まれ出る環境は全員がバラバラであり、不公平感を思わせるかも知れませんが、霊的な意味では真に完全なる平等なのです。神様の為さる神技には、間違いはありません。
自分の行為と思いを、時間と人生を挟んだ後に反映して受け取っているだけなのです。
だから、生きている間は、絶対にあきらめては生けません。正しく生きれば、正しく「いつか」それを自分が受け取ります。
生きている短い間ぐらいは、縁ある多くの先祖を始めとする霊を慰め、縁ある生きる人を出来る範囲で助けたいものです。
いつか、自分自身が助けられ、癒されます。
人間が死ぬということは、生まれ出た国も人種も生活も超えた、完全に平等な区切りなのです。
この区切りを明るく超えて行くには、この言葉で普段から「生きる」ことです。それが、

生かして頂いて ありがとう御座位ます


人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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病気や体調については、医師の診断を受けて優先してください。ここでの話は、
あくまでも参考意見です。


全ての質問と疑問の答えが、この本にあります。
読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典


簡単な表現の文章ですが、強い改善力を目覚めさせる本です。
だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる
修正点です。174ページ4行目の続きには以下の文面が入ります。
「いかないのです。まずは、心に神様を意識して生きましょう。」


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伊勢神宮から白山へ、その聖なる軌跡

コメント (437)
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