三菱ジープ互助会

全国の三菱ジーパーとの連携の輪を拡大しよう。
≪設立の趣旨≫
①修理情報の共有
②J3等車両研究
③部品調達他

MBの伝統を守る三菱ジープ(岡本様寄稿)

2015-11-28 20:56:14 | 日記
師匠の投稿記事のあとに、岡本正人様の記事がありました。何やらこれまで見えてこなかった部分が繋がった感じがいたします。当時、米軍ジープのオーバーホールの仕事をやっていたのが三菱重工の前身となる会社であったのです。



 MB/GPWは第二次世界大戦終了後、太平洋の各戦場に残してあった多数の米軍破損車両とともに日本に運び込まれ、再生修理されて米軍に再供給されたり、東南アジア各国への援助物資として送り出されていった。この米軍車両の修理再生作業を行った会社の中の1社に三菱が入っていた。
この作業を通じてジープと深いかかわりあいを持った三菱は、1952年にウイリス・オーバーランド社とノックダウン契約を結んだが、この時のジープはMBの民間型であるCJ2A(CJはシビリアンジープのイニシャル)の改良型のCJ3Aと呼ばれるモデルで、朝鮮戦争のときわずか2年間製造された米軍用ジープM38とほぼ同型のジープであったCJ3Aは三菱では、J1,J2と呼ばれ自衛隊の前身である警察予備隊に納入されている。
 翌1953年、ウイリス社はMB以来ずっと使ってきたサイドバルブのエンジンに替えて、よりパワーのあるハリケーン・エンジンと呼ばれる吸入側をオーバーヘッドバルブとしたFヘッド式エンジンを載せたCJ3Bを登場させたが、三菱はウイリス社との間でこのジープの国産化の契約を結び、これ以降三菱の手によってジープの完全国産化が始められたのである。
CJ3Bはサイドバルブからオーバーヘッドバルブ式になった分だけボンネットが高くなり、ラジエターグリルのスリットもMB以降のモデルと同じ7本であるが、やはりジープの面構えそのものである。このラジエターグリルは、現在の三菱ジープでも全く同じで、MB以来の縦溝のプレスされたグリルは、純粋に引き継がれている。そしてJEEPの名称と共に、このグリルデザインはウイリス・オーバーランドモータース社(現在ではジープコーポレーション)の登録商標となっていて、他のメーカーの車両には使用できない。三菱は、同社とライセンス契約があるため、日本では三菱だけがJEEPの名称と独特のグリルデザインの使用ができるのである。
 さて、国産化されたCJ3Bは勿論左ハンドルであったが、本家本元のアメリカ国内でのウイリス社製CJ3Bと比べて、うれしいことに三菱製CJ3Bはより軍用車らしさを残して作られている。計器類はMBのままであるし、燃料タンクのキャップも大きく、初期に作られたものはパーキングブレーキのレバーもMBと同じであった。この他にも多数の三菱独自の改良が加えられているが、特に1958年度から自衛隊に納入したJ4は、日本独特のCJ3B軍用ジープに仕上がっている。このモデルは米軍のM38を参考にしただけあって、ボンネットの高い部分を除けばボディスタイルがM38に非常に良く似ていて、アメリカ軍がこのCJ3Bに載っているハリケーンエンジンはそのままでボディデザインをまるで変更してしまったM38-A1を採用したことから、三菱CJ3B,J4は貴重な存在となっている。
その後、三菱はCJ3Bに多くのバリエーションを加えていくが、1960年にはそれまでの左ハンドルに我が国の国情に合わせて右ハンドル車を加えている。これが左ハンドルの民間向けJ3に対するJ3Rで、現在の三菱ジープの元祖となったモデルである。右ハンドルといっても簡単ではない。フロントクロスメンバーの向きを変え、ペダル類その他の操作位置や部品を殆ど新しく作り変えてある。この頃になるとJ3やJ3Rも日本のジープとして定着しているが、まだ一つ残る問題があった。燃費がそれである。一般にジープは燃費が悪いと思っている人が多いが、普通の自動車と違ってジープは悪路走破等の低速、中速での使用が主要な目的であるから、変速ギヤーのセッティング等からして普通の自動車と考え方が異なるので、比較する方が無茶というものだが、対策として考えられたのがディーゼルエンジンの搭載である。勿論ディーゼルエンジンはKE31型が1957年から乗せられてはいたが、全く新しいジープ用の4DR5型エンジンは優秀なディーゼルエンジンで、非常に好評で多くの人々に愛用され現在までに多くの改良が加えられ、完成されたエンジンとして三菱ジープに乗せられている。
 一方ガソリンエンジンでは、FヘッドのハリケーンエンジンJH4型から三菱コルト・ギャランに使われていた4G52型改良の4G53型というエンジンに代わり、現在ではG52B型とG54B型が乗せられている。いずれのエンジンもオーバーヘッドカムで高速性能及び省燃費型である。こうして三菱は多くの国のジープ生産会社がCJ5系や全くジープからかけはなれたボディデザインへと移行していく中で、MBのもっていたジープの美しさの上に、時代のニーズにあわせてエンジン性能その他のドライバビリテイの改良を付け加えて今日に及んでいる。三菱ジープは今やMB直系の貴重なジープである。(岡本正人様の全文)


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 当方へのアクセスは、jeep-gojyokai@crux.ocn.ne.jp まで

JEEP JEEP JEEP ホビージャパン別冊(大塚康生編)は凄い専門書です。

2015-11-28 14:30:10 | 日記
『ウイリスMB、フォードGPW写真集』というサブタイトルがついているだけあって、さすがに写真類の資料が本当に豊富な書籍です。自宅にジープ博物館が来た感があります。第三回旧車天国の会場で500円で譲って頂いたおじさんに感謝です。この方も大塚さんをご存じでした。



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師匠の投稿記事もありました。32年も前のものですが、今読んでも筋が通っています。

2015-11-24 20:59:39 | 日記
タイトルは、『MBについて思うこと』。画像では細かい文字が読めないので、記載内容をあらためてご紹介致します。(インプットには小一時間かかりそうです。)



あまり裏面は注目されることはありませんが、何かどこかの美術館に飾ってあるようなタッチが素晴らしいと思います。さてさて、師匠の記述内容を詳しく見ていきましょう。

 MB-M38-M38A1-M151A2とアメリカの軍用1/4トン車は改良され、発達してきた。民間型も戦後すぐにMBに一寸手を入れただけで発売されたCJ-2Aから次第に大型化し、強力なエンジンになって、今日は直-6、V8をのせたデラックスなCJ-5、CJ-7があり、日本でも三菱のHJ-J58ジープ、それにジープの名前こそつかないが類似の車がゴマンとあって、そのいずれもが強力なオフロード性能と快適なドラバビリティをうたっている。が、私は時々ジープはMB以降本当に発達したのだろうか?と考え込んでしまうことがある。私がMBと並んで好きな車にシトロエン2CVがある。この両車に共通するのは第一に、“車はこれでいいのだ”という虚飾をすてた合理精神に基づいて設計されていることで、共に今日の運転しやすい至れりつくせりの車に馴れたドライバーにとっては、ある程度の忍耐と微妙な運転技術の習熟を要求する要素を持っている。
 もうひとつの共通点は限られた重量と生産コストの中で必要最大の性能を引き出すための工夫がいたるところに見られる点で、一度こういう設計思想に共感してしまうと性能などは気にならず、その車に惚れ込んでしまうものである。
MBを運転してみると重量が軽く、車高、重心が低く、そしてスプリングが柔らかいために傾斜地や凹凸道路、泥濘地を走り抜ける能力において、その後のモデルに決して劣らない。但しそれもMB固有のギヤの選び方やアクセルの微妙な操作に慣れる-という条件付きであって、今日の大排気量、ワイドタイヤの車と一概に比較することはできないが・・・。
 更に重要なことはMBはあらゆるジープの中でもっともメンテナンスが容易であるという点があげられる。リンケージなどが実に良い位置についていたり、部品交換が楽で“手の入らない場所はない”設計になっているのには感心させられる。MBについているT84トランスミッションが小型で貧弱なことがよくMBの泣き所としてあげられているが、これについて私の考えを述べてみたい。
確かに現在残っているMBの大半はセコンドが抜けやすい、ハウジングのガタがひどい、などのトラブルが多くまともなものは極まれと言ってよい。その原因として車齢が古いという事のほかにコーションプレートに記されている注意事項を無視した荒っぽい使い方があげられる。特に戦場で使用する場合はオーバーロードのうえに各ギアの守備範囲を守らないで使うケースが多かったものと考えていい。
 一般概念として車が坂道に向かう際、走行力が落ちるのでシフトダウンするのが普通であるが、MBの場合エンジンのトルクが強いため、そのまま走ってしまってトランスミッションに余計な負担をかけてしまう結果となっている。面倒でもコーションプレートに記載されている各ギヤの守備範囲をきちんと守って使用しなければならない。但し、現在使っているミッションは、戦争中の過酷な使用によって疲労したものではない。日本の場合、戦後払い下げられる前に追浜や赤羽の米軍デポでオーバーホールされて“たいまつマークが入っている”オーバーホールされたものが殆どで、その後一般人の普通乗用車的なギアシフトによって再度疲労したものである。MBのT-84トランスミッションはギリギリの軽量化への戦いから生まれた必要最小のトランスミッションということができる。エンジンのトルクとミッションの強度のアンバランスから敢えて欠点ともいえなくもないが、各ギアの守備速度を厳密に守ることを習熟しさえすれば、丈夫で寿命の長いミッションと断言して良い。
 ウイルスのエンジニア達は、戦後直ちに改造に着手し、T-90トランスミッションを開発した。このミッションはMBの膨大な経験をベースに作られただけあって、非常に強力で、2A,3A,3B,M38,CJ-5と主なモデルだけでも5車種をT-90で済ませている。T-84付のMBを使う気の配り方で扱えば、5リッターV8エンジンでも巡行使用に耐えるT-90である。
簡単で美しいスタイルからMB/GPWを愛する人は多いが、車はスタイルだけでは評価できない。MB以降のジープには乗り心地が良くなったかわりに走破性が悪くなったり、ハンドルが軽くなりすぎたり、MBが持っていた良い点も一緒になくなっているように思える。私の考えでは、MBを今日のニーズに合わせて仕上げるという方向で、各部を今日の基準にあわせて強化するだけで、本当にバランスの良い完璧なジープができるのではないかと思う。フランスのオッチキスが今もMBと外見は全く同じM201を使っているが、その辺をどう考えていじってあるのか一度試乗してみたいものである。(以上JJC黒岩政明氏寄稿全文)



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『JEEP JEEP JEEP』 オビ裏に記載された大塚さんの言葉

2015-11-23 22:45:49 | 日記
何が書かれているのか非常に関心がありました。画像では、全てを取り込めませんので、例によって記載された内容を以下に引用掲載致します。今から32年前に書かれた実に味わい深い文章です。

 

 60万台以上製造され世界中を駆け回ったMB/GPWも既に歴史の領分に入ってしまいました。
 高価なスポーツカーとちがって実用に徹した“頑丈でタフ”という名声のとおり、スクラップに
 なるまで働き続けていまも一台、また一台とその美しい姿を消しています。このところにわかに
 復元保存の価値が高まっていますが、純正のMB/GPWは世界的にも、もはや数えられる段階に入って
 きました。かわって、そしてその子孫たちの数々の4x4が今や世界のモータリゼ―ションの欠く
 ことのできない一部として定着しています。しかし機能上美学上の見地から見て、MB/GPW以降
 本当に発達したのかどうかについては疑問のあるところです。単に機械的な観点からでなく、
 MB/GPWの歴史的役割を見るとその意義は他と比べることができないほど大きいものがあります。
 軍事に使われるジープその他の小型4x4も今日では兵器の変化に従ってMB/GPWが演じたような
 多彩で栄光に満ちた役割を果たすことはなくなっています。それだけにMB/GPWの出現のインパクト
 とそれが演じたドラマは私達に尽きぬ興味を誘います。この本でその面白さの一端を味わって
 頂ければ幸いです。

 


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1942年製フォードGPWの画像(どなたの所有物かは存じ上げません)

2015-11-22 17:01:18 | 日記
これは師匠に以前教えて頂いた判別法です。ラジエター直前のクロスメンバーを見て、中空成形部品がGPW。いかにも重そうな丸部品そのものがMBと。今回の車両は、エンジンルームの中にやたらフォードのFの刻印がついた部品が目につきました。もう一つ少し不思議に思ったのが、運転席左側のトルクスプリング。もしかしたらGPWには、装着されていなかったかも知れません。私のあくまで憶測ですが。しかしいつも思うのですが、J3とGPWがダブって見えます。J3も実に素晴らしい車両です。

≪ガマゴート≫





≪フォードGPW外観≫




≪カーターキャブレター≫




≪ゴーデビルエンジンルーム内≫







≪ラベル他≫






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