三菱ジープ互助会

全国の三菱ジーパーとの連携の輪を拡大しよう。
≪設立の趣旨≫
①修理情報の共有
②J3等車両研究
③部品調達他

Driver Ed in a 1958 Plymouth Belvedere: "Driving Tips" (Series Two) ~ 1958; "Christine" Car

2017-12-31 17:26:45 | 日記
Driver Ed in a 1958 Plymouth Belvedere: "Driving Tips" (Series Two) ~ 1958; "Christine" Car


年末年始くれぐれも飲酒運転等事故なきように。

★三菱ジープ互助会★
 代表発起人J57改@日野市
 


この冬にやっておきたいこと 誤解されやすい師匠の事をご紹介します。その⑧

2017-12-30 21:22:57 | 日記
その⑦からの続きになります。寄稿者は入間のおじさんです。

滑車は隣町の中古工具店で買ったもの、ストラップは当時大量に放出されていた国防色のリング状のもの。長さの調整できるチェーンも飛行機用で良いものがあったりと装備も揃って行きました。
 つけてはみたものの、すぐに必要となる用事があるわけではありませんでした。面白がりに滑車を付けてダブルにして滑車とフックをそれぞれバンパーの両端につけたまま巻き取ってみたら何とフックがぐぐっとバンパーの端を曲げながら食い込んでしまって驚きました。また、取り付けた週の休みには山へ行って用もないのに急な斜面でテストをしてみましたが、この時もサイドブレーキがかかったままのジープをシングルラインでぐんぐん引いてしまい本当に驚いたものでした。
 今でもウインチを取り付けた人に聞くと同様ですが、自分でウインチを付けると不思議とスタックしなくなってしまうのでした。あの8274も、自分のJ54を引き上げたのは何回もなかったものでした。
 その代わりに、他人の4x4はよく引き揚げをしました。オルタネーターや配線が過熱しないかと手で触りながら難所で何台もジープを次々に引き揚げたりしたものでした。ノーズヘビーで走破力がガソリン車に負けていた私のJ54にとっても、あの8274は誇りだったでしょう。抜根機がわりに農家の立ち木の引き向きを手伝ったこともありました。整備工場のお客さんの車の引き揚げを手伝ったり、無線のアンテナを立てるときにも使ったりしました。
 しかし、酷使がたたってドラムのプラスチックのブッシュはすり減ってしまい、塩化ビニールの水道管で具合のいいサイズのものを少し緩めておいて叩き込んで代用したりしました。クラッチの逆転防止爪も片方は割れて取れてしまったが、それでも実用には使えました。弱ったのは4個ついているリレーが水に弱くて作動不良となることが頻発したことでした。ケースを開けてみるとソレノイドのプランジャーが赤く錆びてしまって動きが悪くなっていたのでした。見たところ、アメリカ車のスターター・ソレノイドと同じものなので交換しようとも思いましたが、分解したついでにペーパーで磨いて油をさしてリベットの代わりに細いビスを通して組み上げ、水分が入らないようにペイントをたっぷりと塗ってからグリース漬けにしておいたらその後のトラブルは起こりませんでした。
 ワイヤーも牽引中に2カ所が切れましたが、仲間の材木屋さんが器用に編んで繋いでくれて直してくれました。このウインチはギアオイルの交換を考えないのかドレインが見つからなかったので、ケースのボルト穴から抜いて交換したりと酷使もしましたが随分と手入れもしました。

 

その内に何が理由であったのか忘れましたが、あの8274はジープから外されて自宅の駐車場の隅に放置されていました。そして最後にはふらっと遊びに来た友人が手に入れたFJ40に付けるのだと買っていってしまいました。もともと鉄鋼原料の仕事をしていた彼の金物に対しての評価は低くて確か2~3万円で、その価格で買われていったのでした。
 そして、その友人に会う機会があったら何とまだそのFJを愛用しているばかりでなくフロントにつけたあの8274もたいした整備もされないままにもかかわらず、健在で所定の能力を発揮しているのです。その後販売されたウインチの多くがろくろく使われないでバンパー上に飾られているのに比べて、何と幸せなウインチなのかと思いました。
 先日、富士の綺麗に見えるところへ家族と行ったら近くにジープの廃車が何台もあったので、近くによって見た。すると隣に見覚えのあるカマボコ型のバンが見えました。前に回って良く見るとそれはやはりシトロエンのバンでした。そしてそれは何とあの黒岩さんの2CVのバンだったのです。
 何のことはない話です。ただ、使い古したウインチや黒岩さんのシトロエンの廃車に再開したというだけの事なのですが、最近になってこの二つの発見をきっかけに、ジープセンターと出会ってからの20年間が本当に懐かしく思い出されています。

☆8274に関して師匠の事を思い出された入間のおじさんの寄稿文全文です。

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 当方へのアクセスは、jeep-gojyokai@crux.ocn.ne.jp まで

この冬にやっておきたいこと 誤解されやすい師匠の事をご紹介します。その⑦

2017-12-30 13:23:29 | 日記
入間のおじさんが寄稿した記事を見つけました。JJC創立20周年を迎えという表題です。入間のおじさんも、師匠を尊敬されていたことが今確認できました。少々手がしびれますが、頑張って当時の寄稿文を掲載してみます。

『ジープセンター20周年に寄せて』平成3年9月
 我が国の四輪駆動車ブームの原点とされる黒岩政明さんの日本ジープセンターが設立20周年を迎えたと聞いて、一台のウインチの思い出を書いてみました。
《思い出の8274》
現在のように様々な電動ウインチが簡単に入手可能なのに比べますと二昔前は極めて選択肢がありませんでした。というよりも4x4につける電動ウインチと言えばアメリカ・ウオーン製の8274型12ボルトしかなかったのです。多分、電動ウインチと言えば町の工場にあった天井走行式のものを指していて後はキャリアカーの電動ウインチぐらいでしたので、車につけるなんて考えられないことでした。
 ろくろく、4x4につけるアクセサリーなんてなかった時代に電動ウインチはジーパー達にとって喉から手が出るほど欲しいものでした。それも現在のようにファッションの為やセールスマンの口車に乗せられてつけるのではなく、趣味で走り初めていたジーパーの多くがウインチを必要とするような走りをしていたからです。当時でも結構多くのJ3やFJ40はPTOウインチをつけていましたが、これらは極めて重いのと、うまく中古が買えればよいが、新品を三菱やトヨタの部品として買うには、価格も30万円超と高すぎたものでした。
当時は今よりも現場での能力の差が4x4に付けるものの選択基準であって、例えばあの頃、既にアメリカから少しづつ輸入されていた太いタイヤが払下げのヒビだらけのゲタ山に優らないということは、「実証」されていました(繰り返しますが「評論」ではなく実証されていました)。
 ウオーンの電動ウインチの存在はアメリカの専門誌FOUR WHEELER(アメリカのというよりも世界に一誌しかなかっただろう)とか、販売していたジープセンターが持っていたウオーン社のカタログで知っていて、なんとか欲しいものだと思っていました。でも、中古の三菱のPTO式の相場が10万円以下の頃でしたから、20万円くらいはした電動ウインチはまさに高嶺の花でした。
 そんな頃、当時から大型免許を持っていた私は、ある幼稚園の送迎バスの運転手を頼まれてやることになりました。高齢の運転手さんが寝込んでしまい困っているのを付き合いしていた整備工場の親父さんや保母をしていた同級生に頼まれてお手伝いすることになったのでした。2ヶ月ほど朝晩の運転をやって得た臨時収入を手にして欲しかった電動ウインチを買おうと思いました。そこで、それまでも何度も遊びに行ったりフリーハブを分けて貰っていた四谷のジープセンターに電話を入れてみました。すると、一台は在庫があってテストに一度使ったから安くするということで買うことにしました。何でも当時一台のウインチは栃木かどこかの井戸掘り業者が使ったとかで、私に来るのはジープセンターでその能力をテストしたものとのことでした。



引き取りに行く算段は後で考えるとして、ともかく送金をしました。当時、現金書留の限度額が10万円だったので2通に分けて18万円を送ったのを覚えています。そしたら、何と黒岩さん自らがボロなシトロエンの2CVのバンで私の住む入間まで届けてくれたのでした。途中まで迎えに出た私に「このフランスの貧乏人の車のドライブシャフトは等速じゃないから曲がるときにぎくしゃくしやがってね」なんて言いながらも、あの独特の笑い方でシトロエンが可愛くて仕方がないように言われました。
 一度テストに使ったと言われるその8274は、ドラムのサポートのカバー側に亀裂があったのですが、部品は到着次第送ってくれるという約束でした。当時はウインチ本体だけではなく専用のバンパーもアメリカから一緒に来ていてワイヤーはそれを貫通する位置にある穴を通りローラーフェアリードで導かれていました。
 あのウインチが後になってバンパー上に位置するようになったのは、CJ5のステアリングギヤボックスがバンパー側に近く移動した頃からだから、このバンパーと一緒に来たのは、本当のCJ3B用のキットだったのだと思います。取り付けは自動車屋さんの工場を借りて行いましたが、電動なので簡単と思っていたら、三菱のバンパーを止めているリベットを飛ばすのに難儀しまし。た頭にポンチを打って揉んでもサンダーですり減らしてもまっすぐ入っているとは限らないリベットは、なかなか取れなかったものでした。当時24ボルト用はなかったので片方のバッテリーから電源は取り出してしまいましたが、電気に余裕のあるディーゼル車であったので能力に不足はありませんでした。それでも時々は、左右のバッテリーを入れ替える「バッテリーローテーション」をしたり、オフロードでの作業中にパワーがなくなった時には、バッテリーを繋げかえたり、他のJ3あたりからジャンプケーブルで給電して貰ったりもしました。

(その⑧に続く)



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久しぶりにうれしいお知らせができそうです。

2017-12-29 21:51:15 | 日記
三菱ジープ互助会96台目は、愛知県でJ10改を使用されている方となります。お正月にはブログでご紹介できそうです。非常に楽しみです。J10は、今回の方で5台目となります。

 

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この冬にやっておきたいこと 誤解されやすい師匠の事をご紹介します。その⑥

2017-12-29 19:54:57 | 日記
まだ年内3日ほどありますので、もう一つご紹介しておきます。師匠とは数年のお付き合いを頂いておりますが、これまでに修理できなかった車両はなかったと思います。特に、数年間も放置されていた車両でも、師匠流に誠にオーソドックスに原因を究明して、不調部分を改善して公道復帰を実現されています。しかも、修理に日数がかかっても、とても良心的な価格で作業を引き受けておられます。車両の維持が困難になって廃車を決断しなくてはならなくなった場合は、一度処置について師匠に相談をされた方が良いと思います。硬派・軟派両方の顔を持っておられるので、身構える必要はありません。必ず解決策が出てくるので何でも相談した方が得策だと思います。

 

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