エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

悲運のシンガー『坂本 九』

2021-07-27 08:06:56 | 芸能・アイドル

 

上を向いて歩こう”  作詞・「永 六輔」 作曲・「中村 八大」

♪ 上を向いて歩こう~ 涙が止まらないように~ 思い出す~ 春の日~一人ぽっちの夜~ 

ご存知「坂本 九」のヒット曲「上を向いて歩こう」です。 日本 は元より 世界中 で愛され、今もなお歌い継がれる名曲です。 昭和 38年 アメリカのビルボードで 3週連続一位を獲得し、アジア圏ではベスト歌謡と称賛されています。 その「坂本 九」は、1985年(昭和 60年 12月 10日) 群馬県上野村の御巣鷹山で 亡くなっています。 日航・ジャンボ機の 墜落事故 でした。 「上を向いて歩こう」「明日があるさ」「幸せなら手を叩こう」「涙くんさよなら」・・ 数々のヒット曲を残し、惜しくも帰らぬ人になったのです!(享年 43歳)

「坂本 九」は、世界的に有名な歌手です。 日本の歌謡界で、頂点に登りつめた ビック・スター です。 誰しも、そう思っている筈です。 しかし、事実は全く違います! 生前の彼は、歌謡界の 嫌われ者 でした! 当時 「坂本 九」は、業界から冷たく扱われメジャーな仕事を奪われていたのです。 何故かと言うと、歌謡界の重鎮らの 醜い嫉妬 です。 「坂本は歌が下手だ」「日本語の詩を正しく歌えない」「声が汚い」・・・ アメリカを始めとする諸国で「上を向いて歩こう」 通称 SUKIYAKI を称賛さたのが気に食わなかったのです。 権力者による謂れのない バッシング でした。 

その結果 仕事の多くは、地方(ローカル)に追い遣られ 最後のテレビ出演が、北海道・札幌テレビ(STV)の「ふれあい広場サンデー九」(障害者向け番組)でした。 放映は毎週日曜日 am 9:30~10:00でしたので、私は何度か観ました。 決して、スターとして脚光を浴びる様な番組ではありませんでした。 俗に言う、地味な つなぎ番組 です。 それでも彼は、明るく振る舞っていたのが、思い浮かびます。 「坂本 九」は、日本で華々しい スポットライト など 受けていなかったのです!

「坂本 九」の事故死により、バッシングの件は忘れ去られたと思います。 歌謡界の重鎮達は、安堵した筈です。(厄介者がいなくなった) しかし、ファンの感情は変貌しました。 特に、演歌離れ は顕著でした。 若者は、演歌を否定し始めたのです。 そこには「坂本 九」&「上を向いて歩こう」の影があると、私は思います。 歌謡界に対する 不信 と 疑惑 です。 「一曲売れると名が知られ」「二曲売れると飯食えて」「三曲売れると蔵が建つ」 要するに、音楽業界へ忠誠を尽くさなければ、業界から干されるのです。(権力者に嫌われるとアウトです) 「演歌の花道」とは、歌い手における 辛く厳しい「いばらの道」なのでしょうか? 若い歌手が、演歌を敬遠するのは 当たり前です。 歌謡曲は「石の上にも三年」などと言う 修行僧 ではないのです。 日本で稼ぎ活躍しなければ、業界は本物と認めない? 余りにも、了見が狭過ぎます! それが証拠に「坂本 九」亡き後、世界に羽搏く ビック・シンガー は 一人も出ていません。 

◎ 洞爺湖畔の彫刻 「九ちゃん」の悲しみを感じます。

 

* 今年は「坂本 九」が亡くなって 37回忌 になります。 昭和期に 金字塔 を建てた「坂本」も、今では忘れ去られた存在です。 しかし、記憶 と 記録 に残る 名曲 は少なくありません。 一度「坂本」の楽曲を聞いて、在りし日を偲んでみては 如何でしょうか?