十勝の活性化を考える会

     
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アイヌの強制移住

2019-04-08 06:00:00 | 投稿

アイヌの強制移住

 

西暦1669年、北海道史上で一番大きな戦いであるアイヌ民族と松前藩の戦いがあった。「シャクシャインの戦い」という。その戦いの先頭に立ったのが、アイヌ指導者のシャクシャインであり、その像が新ひだか町(旧静内町)の小高い丘の上に立っている。

先日、新ひだか博物館学芸員にアイヌの強制移住について質問したところ、同化政策のひとつである「新冠村御料牧場アイヌの強制移住」について、以下の回答がありました。


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 「大正5年(1916年)、新冠村姉去にいた御料牧場アイヌ80戸が、新冠御料牧場の都合と同化政策の一環から、平取村上貫気別に強制移住させられた」という。これは、『新北海道史』第9巻資料3(北海道、昭和55年)413ページの記載文を書き改めたものです。

なお、この『新北海道史』第9巻資料3は、図書『小伝浅川義一』(津久井信也 著)を参照しておりますが、これまで『小伝浅川義一』について詳細に検討することなく、『新北海道史』第9巻資料3を引用して、新冠村字姉去のアイヌに関する強制移住について語られてきた感があります。 

「新ひだか博物館」学芸員

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1) 同化政策:「北海道旧土人保護法」に定められている。

注2)新冠御料牧場:出典「もうひとつの日本文化(アイヌ文化)徒然ブログ」

 明治5年(1872)、アイヌが住んでいた北海道日高地方南部(新冠村)の約7百平方kmが日本政府(北海道開拓使)により「新冠牧馬場」とされた。これは「東京23区全体の621平方km」より広い面積である。明治21年(1888)「新冠御料牧場」と改称される。(宮内庁所属牧場、皇室財産)

ここは古くからアイヌコタンが存在していた地域で、11個のアイヌコタンがあり535人のアイヌが住んでいた。(明治6年「地誌提要 浦川支庁原稿 上」)それをアイヌには何の協議(相談)もないまま牧場用地に、そのまま編入されたということだ。そして、明治10年(1877)、牧場内のアイヌの土地は国有地とされ、自由売買は禁止される。

③明治34年(1901)8月22日、閑院宮載仁(かんいんのみや ことひと)親王が牧場に来場し、視察を行った。その際に、白髪のアイヌエカシ(古老)が進み出て「この地方は我ら祖先の開墾せしものなるをお取上げとなり、為に我らは今日難渋を極めいるを以って、何とぞ返還あらんことを請う。」と明晰に陳情した。(この件は、浦河支庁長により「当該エカシの失言」として処理された)

最終的には、「大正5年(1916)、姉去(あねさる)コタン74戸の平取村上貫別(かみぬきべつ)への強制移住」をもって、この地域の全てが「地区外への転居」を強制移住されたことになり、この地域のアイヌ社会はほぼ崩壊した。

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