andante-life

時どきの感動をつづります

梅雨のジメ~ッも・涼しいから少しマシです・

2014-06-13 | 日記

 

昨日夕方の天気の急変   

お出かけ帰り、やっと我が家が見えてきたと思ったら 大粒の雨粒がパラパラ

なんとか ずぶ濡れをまぬがれました

 

ベランダから見るとこんな雲がでていました

 

          12日 17:20            〃 18:10         13日 8:55                              

         

 

 

                        

 

 

                         

 

      乃南アサ 著  『地のはてから 上・下』


あらすじ

大正初年に福島県郡山から北海道イワウベツ原野(宇登呂)に入植する家族

登野原作四郎・つね一家を、主に長女「とわ」を主人公に描いた小説

函館から列車で網走へ、3月の流氷で足止めをされ、発動機船に乗り漁村の宇登呂(知床)へ~

入植地はそこからさらに羅臼岳方面のイワウベツ原野(今の岩尾別)へさらに

5kmほどの原野へ~

すでにアイヌ人たちは狩猟生活だった

痩せた土地での入植者たちの艱難辛苦の生活はバッタの田畑襲来による穀物収奪でイワウベツ原野を撤退することになる

北海道入植から始まる、主人公「とわ」の息もつかせぬ波乱万丈の人生が・・展開する

12歳になった「とわ」は人減らしで大正15年(1926年)4月28日、小樽の商家(洋品雑貨小物卸商)に奉公に出された

 〈同じ奉公人の丑太郎が昭和3年(1928年)3月15日に治安維持法違反で突然逮捕された〉

奉公先の凋落で首になった「とわ」は、宇登呂に戻ることに  「とわ」の(母)は、体力が落ちて腰と膝の治療のために岩尾(宇)別温泉に行く・・ 

岩尾(宇)別温泉は、古くからアイヌの人たちに知られ、『治らない怪我や病気がない』というくらいに効き目があるという・

僻地には医者や薬がなかった時代、温泉療養は身近な治療の手段だった

 やがて 「とわ」は、イワウベツで出あい慕っていたアイヌの三吉と別れ斜里へ嫁ついで家族を作っていく

 ~が戦争に突入し、夫も戦争に借り出され、多くの友人たちが犠牲になり、やがて第二次世界大戦が終わる

 余りにも悲しい過酷な時代、、  (Webより)


『上・下』 とおして読んでみて少し暗い感じがしました

大正初年から昭和20年ごろの

時代からくるものがあるのでしょうが

困難な時代を只々、我慢がまんで生き抜こうとする家族

特に母は毎日を一生懸命~逆に父は頼りなくてフラフラ・・落ち着きません

息子(直一)・娘(とわ) は父を反面教師として育ち

母をしっかり受け止めて支えていく

*どんな状況におかれても生き抜く!*という 力強さ を見せつけられました

                                          ☆☆☆ です

・  ・

 以前のブログで紹介した『ニサッタ、ニサッタ』に出てくる

                      主人公(片貝耕平)は、とわの子孫にあたる~という設定だそうです                                                            

                                         (資料より)

 

見ていただいて