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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

細川知事時代の「記者経験」から発想する

 14年間在籍していた熊本のテレビ局は1982年春に開局し、私は開局入社の1期生だった。時代はすでにテレビ局も昔ほど稼げる企業ではなく、社員も約80人ほどの小さなテレビ局だった。小さいから古くからある大きな局のように記者とカメラマンが別々にいるという贅沢なことはほとんどなくいきなり記者とカメラマンを一人でやらされていた。要するに撮影しながらメモを取るというのが普通だった。また取材後編集まで自分でやるという状況もしばしばだった。大きな局では全部分業化されている。当時は本当に鍛えられた、しかし、今思えばこの時の厳しい態勢が一人で全部やる住民ディレクターの発想につながったのは間違いない。
 記者時代は実は細川元総理が熊本県知事になり、途中から総理大臣になった時代で、県政記者時代は会見やインタビューをよくさせていただいた。しかし、今「県政」の文字を変換していると「権勢」と最初に出たので思わず笑ってしまったが、「権勢記者」のような人が多かった。だから私は記者クラブが肌に合わなくてデスクからよく行けといわれたが、ほとんどいなかった。県庁に行っても食堂や喫茶店、資料室などにいることが多かった。
 権勢をほしいままにしている記者さんたちは大新聞に多かったが、知事や県庁幹部と仲がよく(それが仕事なので私は失格だった)情報を早取りするのだった。という私でも県庁や市役所に行くと職員が必要以上に持ち上げてくれるので、ついつい傲慢になっていくのが目に見えてきた(と、本当の友人は指摘してくれていた)。同じくカメラマンは大きなカメラを持っているだけで偉くなったように勘違いして偉ぶっている人が多かった。この記者、カメラマン権勢注意報は私自身も陥った症状で一時は結構重症だった(ようだ。先ほどの友人の話)自分が権勢をほしいままにしている記者を牽制(!?)しながら実は局以外の人たちには同じように見えるほどこちらが高慢ちきになっている。中にいると気付かないことだろうが、今、外にいてマスコミの人に強く感じる。ホテル前の人たちにもぷんぷんその臭いがしていた。特に颯爽と歩く女性記者は目も当てられないほどに傲慢の極みの格好をしていた。かくいう今の自分も気になる、まだその臭いを持ちあるいているかもしれない・・・。
 話は変わって地域振興を考える時、記者的な取材力はとても役立つ。首長をはじめ役場幹部、各業界の住民、泊まった旅館の女主人、タクシーの運転手さんと1泊2日ほどいると大体の地域の全体像が見える。見えたかどうかはニュース原稿や番組企画を書いてみるとわかる。なんとなくわかった「つもり」の時は原稿にならない。企画が生まれない。しっかりとつかんだ時はすらすらと1分原稿ができるし、番組企画も端的な表現になる。講座でよく話を聞いていて内容がよくわからないときは「一言で言ったらどんなタイトルですか?」と聞く。そんなときはほぼ100%すぐに出てこない、本人がよくわかってなくて気分で話しているケースがほとんどだ。ニュースをやっていると全体の8割は1分ニュースだった。今は企画ニュースが増えているが当時は1分が基本だった。タイトルで悩む。文字数で長くても12文字ぐらいで決めないと長すぎるとデスクから駄目だしを食らう。新聞の見出しも同じだがこれは結構難しい。タイトルがすぐに思いつくような企画は編集が早い。いい番組になる。逆は勿論苦しむ。編集が決まらない。
 住民ディレクターは記者でもあり、ディレクターでもある非常に難しいことを素人が一人でやっている。わかりにくいし、大変だが、一度コツを体感すれば凄い勢いで企画力がつく。これはやった人にはわかると思うが、それだけに目に見えないところでの努力がものを言う。最近IT関連のツールは益々簡単になっているが、それはそれだけ人の力が不要ということで実際の力はつかない。その点、簡単といっても企画をし、カメラで撮影し、編集して、ナレーションを考え、タイトルをつける・・・、という住民ディレクターの手法がブログやSNSのように文章を書けばきちんとオートメーションのようにでてくるというツールとは全く違うということは自明の理だと思うが意外とこんなに違うプロセスもツール、手法、道具という言葉で一緒にされている現実もある。ボタンひとつできれいなページができる道具と以上のような手間ヒマ、時間をかけてかつ顔をあわせての付き合いまである住民ディレクターの手法を一緒には論じられないと思う。どうも最近この辺の勘違いやオマケといっている映像作品の上辺だけに目が行く人たちが住民ディレクターの手法を欲しがっているように見える。
 そういう意味では傲慢な記者さんたにも同情するところもいっぱいある。事件事故の現場、政治の現場、どこにいても気が休まる時がない。昔はポケベルを切ってしまえば逃げられたが、今は携帯に留守電も入るし、鎖はいつもつながっている。自由を失った記者には創造的な仕事は難しいと体験的にわかる。住民ディレクターは「やりたい人がやりたいことをやりたいようにやる」手法なので基本は自由だ。やりたくなければやらなくていいのだ。

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