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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

熊本城400年、清正、まちづくり

 写真は築城400年を迎えた熊本城を背にして熊本市内を見守る加藤清正像だ。烏城(からすじょう)と呼ばれる熊本城は明治の西南の役でその圧倒的な堅固さを証明し、西郷隆盛をして「清正どんに敗れた」と言わしめた。清正は治山治水、まちづくりに抜群の才能を発揮した人で、熊本市は約400年立った今もその恩恵に浴している。記者時代清正の人物を調べれば調べるほど間違ったイメージが流布されていると知った。有名な虎退治や秀吉の命により果たした朝鮮出兵、帰還後に広まった武勇伝などはちょうど日本が日清、日露、一次、二次大戦と進む中で、士気高揚の機会にと誇張された感は否めない。清正の真の人物像の追求は住民ディレクター活動のひとつとして熊本市民と共にやってみたいテーマだ。
 熊本といえば清正の後を細川氏が継ぐがこの両家の歴史を紐解くことが城の復元以上にとても大事なことだと思う。復元に際して市は基金を集め、大きな成果を出した。10年前にスタートした基金の第一号は実は私たちだった。その頃熊本城を骨董などお宝のバーチャル&リアリティで世界に売り出す企画を提案し益金を寄附した。熊本城広場に九州中の骨董屋さんを集め、ネットでも探せる、今では当たり前になったネットオークションの実験版も模索した。その名も「九州お宝情報市」だった。10年続けて今年は世界中に発信する予定でいた。しかし、当時の熊本市にはこの企画を読み解いてくれる人がいなかった。今、当時の関係者に集まってもらえばきっとあの企画の意味が理解してもらえると思う。実際ネットオークションが当たり前になり、ユーチューブができ、セカンドライフ元年(日本版)に当たっているのだから。当時ひとつひとつの形までは言えなかったが、こういうような状況になることは読めていた。
 同じ事が住民ディレクターにしても言える。言ってたようになってきている。先日実家の部屋を整理していたらまさに今のような全国ネットワークと活動展開の構想図がでてきた。平成3年に思いついて書いたものだった。必要とする人に繋がるタイミングは難しい。早過ぎても遅すぎてもダメで、時代が向こうからやってくるまで淡々と、着々とやるしかない。
 清正さんはまだ待っているように見える。

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