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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

パートナーの選び方、熊本城の10年前から

 秋が深まってきた。一瞬だが熊本に帰ってきた。久しぶりに熊本城を歩いたら車が数珠つなぎで何でこんなに人が多いんだろう?と不思議だったが七五三だった。次々とあでやかな和服を着飾った子どもたちが父母に連れられて加藤神社にお参りに行く。熊本城は豊臣秀吉の命を受けた加藤清正が築城した城で恐らく現存の城では実質日本一といってよいと思う。今年は築城400年ということで一年間催しが続いているらしい。
 私はこの築城400年には実は関わっていたのだが、当時の市長と話が合わなくて中断した企画があった。「九州お宝情報市」というイベントで実際10年前に企画し、当時のまち創り応援団プリズム(現在の有限会社プリズムの前身)を核に実行委員会を結成して実現した。企画の概要は九州各地のお宝(骨董品、古道具など)を熊本城に集めたマーケットと当時はまだあまり例がないネットオークションやネットショップを組み合わせたイベントだ。しかも熊本城周辺の商店街や地域と連携して10年のまちづくりをやっていこうと発想したものだ。十年後の2007年には(つまり今年)熊本城周辺の地域とインターネットコミュニティ、世界中のお宝がひとつになった一大イベントに成長するというものだった。お宝のメッカが築城400年に実現し、新しいまちづくりの柱ができていると市役所を説いて回った。熊本市の反応は鈍く、結果的には我々が約700万円を自分で集め、1週間で5万人(だったと思う)を集めた。当時骨董品関係者も景気が悪く新しいものを探していたし、骨董系の青年たちにはインターネットとの組み合わせが新鮮に響いていた。何よりも実行委員会は城を核とした集まりで、老若男女、いろんな分野の人が集まったので、そのまま継続すれば自然とまちづくりになる仕掛けだった。開催前から開催中、開催後までテレビ局やラジオ、新聞、雑誌と次々と取材があり情報発信力は強力だった。しかし、1年で終わった。当時の熊本市役所の担当に始まり、幹部、市長までがあまりにもまちづくりに無関心だった。市民参加の手頃なイベントがひとつできたぐらいの認識を出ず、度重なる議論をしたがとうとう主旨、真意を理解してもらえず単なるイベント扱いされることに甘んずることなくきれいさっぱり引き上げた。当時は一緒にやってくださった皆さんからは1年でこれほどの成果を出したのに勿体ない。なんとか2年やってからという意見もあったが、コンセプトが理解しあえないパートナーとはいずれ同じことが起きる。火傷をしてからでは逆に皆さんに迷惑をかけるのでプロデューサーとしてはここは去るのみと判断した。正解だったと思う。今回の築城400年の動きを見ていてもやはり10年前の熊本市と何も変わってない空気が漂っている。新しい芽は感じない。7つの天守閣を復元するという大事業をなんとか実現したようだが、烏(からす)城といわれる黒くどっしりした威容ある熊本城が今は白っぽくなっている。新しいから?予算の関係で?そこはわからないがあと20年立てば風格は出るかもしれないが、街の軽さと同じように熊本城もなんだか軽くなってしまった感じだ。
 11年前から、というよりも25年前からテレビ局でいろんな仕事をさせてもらったり、テレビ局の看板を外してフリーになってからもいつも主旨が理解されない相手との仕事は一切断ってきた。まだ、フリーになって数年目に億単位の仕事の話もあったが、相手が全く中身について考えてなくて、器ばかりの話をするのでやめた。「仏作って魂入れず。」昔も今もこの手の話は多い。地域作りの現場もよく聞いていると誰のための事業かわからない話が多い。結局地域の住民の前に自分たちの都合で組み立てられていく事業。ハードやインフラは別にしてソフト事業でこの手が多いのには呆れる。久しぶりに熊本城で「初心忘れず」を思い出した秋の光景だった。

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