今年の春は特別な春です。昨日もお邪魔した人口2,000人の東峰村のような田舎では四季に敏感ですから訪問すると毎回、何の花が咲いていたとか、どこどこの畑で○○の芽がでていたとか、トンボがどうしたこおろぎがどうだったとかにぎやかです。手紙を書くときに「時候のあいさつ」という例文がありますがあれのある意味がなるほどとおもわれます。親父さんたちの春といわず夏だったのはなぜでしょう?と自分に問いかけます。どうしても夏ですね、出てくるのは。甲子園のような炎天下の戦い、ドラマ、汗、涙・・・、男には夏が似合うのでしたが今の男はわかりません。
荻窪教会通りの親父さんたちが初めての番組収録に臨んだときやはり空気は夏でした。裃をつけて刀を差して、・・・。
民放テレビが生まれたあの昭和28年も熱い夏、8月でした。街頭テレビに映し出された力道山、長嶋、若乃花・・・、鬼畜米英をドラマのように空手チョップで次から次とやっつけた力道山は汗まみれ、血まみれで戦い続けました。長嶋は努力の一言も言葉にせず、さも天才は苦労知らずと思わせるほど涼しい顔をして劇的なホームランを打ち続けました。王さんとはやはり違うヒーローの存在感がテレビを見ている人たちを魅了しました。横綱は品格があり、負けても勝っても男は黙って土俵から引き下がります、若乃花の雄姿でした。
収録の日、ご自分や苦労をともにしてきたお仲間の姿をテレビで初めて?!見られた親父さんたちにはその姿がどのように見えたのでしょう?わたしにはあの力道山や長嶋や若乃花に見入っていた男たちの眼差しのようなものが感じられました。・・・
テレビは「あの時代」「あの時」まで遡らないともう「熱さ」が伴わない古臭い骨董品になってしまったのでしょう。ぎりぎり「あの時代」を知っているわたしには自分自身にも熱い夏があるのです。
映画の次に生き方を毎日あの箱の中で見せ続けたのがテレビでした。テレビに出るのはまだヒーローでした放送だったからです。テレビは通信ではないのです
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