羽生市ムジナモ保存会

食虫植物ムジナモの国内最後の自生地で、国の天然記念物の羽生市宝蔵寺沼ムジナモ自生地の復元には自然環境保全が不可欠である。

大和三山を歩く

2018-04-14 20:22:33 | 飛鳥・藤原京
大和三山は、畝傍山199m、天香久山152m、耳成山139mで、藤原宮跡からは三山を一望できる。
起点は近鉄樫原神宮前駅から、樫原神宮参詣後境内を抜けて、最初に畝傍山に登る。
天香久山、藤原宮跡、耳成山を経由し大和八木駅までまで、およそ15㎞の行程である。



                樫原神宮

                畝傍山山頂

天候が悪く山頂からの遠望はきかなかった。下山後神武天皇陵を通過し、樫原考古学研究所付属博物館に立ち寄ったが、
まだ時間が早く会館前であったので通過した。近鉄樫原線畝傍御陵前駅の地下道を抜け、本薬師寺跡に向かう。


           本薬師寺西塔跡心礎石、右奥の木立のあるところは東塔跡

             
              本薬師寺跡礎石群
飛鳥川を渡り、紀寺跡を通過し天香久山に向かう。香久山のふもとに天岩戸神社がある。

               
                天岩戸神社

                天香久山への登り

持統天皇は天智天皇の娘である。この歌「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香久山」は、百人一首では、天智天皇の「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」に続き二番目に掲載されている。


               天香久山山頂


               天香久山から畝傍山を遠望



天香久山を下山し藤原宮跡へ向かう途中、奈良文化財研究所藤原宮資料室に立ち寄り、近隣遺跡からの出土品を見学した。
先ほどの本薬師寺の軒瓦の文様は精巧ですばらしい。


                 藤原宮跡後方は耳成山



藤原宮は694年から710年まで持統、文武、元明天皇まで3代16年間都となる。その後、元明天皇が奈良の平城京への遷都を決定した。

                藤原宮跡より雨で霞む畝傍山

藤原宮跡を北上し、JR桜井線、近鉄大阪線の踏切を渡ると間もなく耳成山登山口である。


                  耳成山登り


                   山頂直下の耳成山口神社


                   耳成山山頂


             耳成山山頂付近から藤原宮跡、天香久山を遠望




耳成山下山後、和八木駅へ向かう

時間に余裕があったので大和八木から桜井経由、長谷寺に立ち寄った。








                  牡丹の開花にはまだ3週間ほど早かった