羽生市ムジナモ保存会

食虫植物ムジナモの国内最後の自生地で、国の天然記念物の羽生市宝蔵寺沼ムジナモ自生地の復元には自然環境保全が不可欠である。

荒海山 1580m  福島県南会津町

2018-11-09 20:37:00 | 自然環境
荒海山(太郎岳)登山  2018年10月23日

362号線➝7:00戸坪沢(登山口)7:15➝尾根➝11:00荒海山11:35➝15:13戸坪沢

標高差約800m、紅葉はほぼ最盛期であった、モミジは少ないが頂上からは360度の展望は素晴らしい。








                 荒海山を臨む


                 七ヶ岳方面












               頂上からの展望は素晴らしい




              荒海山は分水嶺でもある











                   戸坪沢へ下山





   

桜井・明日香を歩く

2018-11-08 21:13:42 | 大和平野からの景観
 桜井から土舞台・阿部文珠院・山田寺跡を経由し明日香村を歩いた。 2018年10月15日
明日香は一昨年奈良大学の授業考古学特殊講義ではバスによる移動のため位置関係が分からないので歩くことにした。
飛鳥水落遺跡・明日香村埋蔵文化財展示室・甘樫丘・飛鳥寺・蘇我入鹿首塚・亀形石造物・酒船石遺・飛鳥京跡苑池・川原寺・橘寺・亀石・天武持統天皇陵・鬼の雪隠・俎、高松塚壁画館・
高松塚古墳・文武天皇陵・四神の館・キトラ古墳・壺阪山駅


            桜井駅南








土舞台 聖徳太子が我が国で最初に国立の演劇研究所を置いた所”芸能発祥の地”として伝えられている。



             土舞台





               阿部文珠院浮御堂


  特別史跡文珠院西古墳、明日香村の岩屋山古墳同様精緻石室の石組は精巧





拝観料を払うと、おいしい抹茶の接待があり、その後本堂に案内され説明がある。本堂に国宝快慶作の文珠菩薩は木彫極彩色の騎獅造7mはすばらしい。


ここは阿部仲麻呂の誕生したところで717年遣唐使で中国長安に留学、玄宗皇帝に仕え、李白とも親交があった。帰国を試みたが嵐で遭難ベトナム付近まで流され長安にもどった。
望郷の歌である。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」 現在中国の西安の興慶宮公園には阿倍仲麻呂の記念碑がある。





          阿部寺跡 文珠院の前身の寺


   山田寺跡 伽藍は四天王寺式で礎石のみ残る





              山田寺跡


             山田寺跡


             山田寺跡







              明日香村埋蔵文化財展示室



              飛鳥水落遺跡






                甘樫丘から畝傍山


                甘樫丘から耳成山







   
                 飛鳥寺


               飛鳥寺の塔の説明


                蘇我入鹿首塚






               亀形石造物


                酒船石


              飛鳥京跡苑池


                 川原寺


                 川原寺


             川原寺から橘寺を臨む              


              橘寺二面石


                橘寺


                 亀石



             天武持統天皇陵


             天武持統天皇陵



              鬼の霍乱


               鬼の俎


                 高松塚古墳





                 文武天皇陵


キトラ古墳の保存施設で石室の白虎と天井の「天文図」実物が公開されており、北斗七星がかくにんでき、当時にしてはかなり正確に
記録されていたことが確認できる。







                  キトラ古墳













                   壷阪山駅









山の辺の道を歩く

2018-11-06 14:58:38 | 大和平野からの景観
 山の辺の道は、三輪から奈良へ通じる上古の道である。大和平野には南北に走る上・中・下ツ道の官道があり、それぞれ7世紀の初め頃に造られた。
上ツ道のさらに東にあって、三輪山から北へ連なる山裾を縫うように伸びる起伏の多い道が山の辺の道である。現在、その道をはっきり跡づける
ことはできないが、歌垣で有名な海柘榴市(つばいち)から三輪、景行陵、崇神陵を経て、石上から北上する道と考えられている。
 JR桜井駅から大神神社(おおみわじんじゃ)、狭井神社に届け許可得て三輪山への登山も加え、山の辺の道を歩き石上神宮を経由しJR天理駅まで
およそ20数kmである。



         桜井市街地から山の辺の道へ


仏教伝来の地碑  欽明天皇の時代に日本に仏教が最初に伝えられたといわれている所。また、山の辺の道の 南の起点。















                 金谷の石仏


                平等寺

 
        大和平野を臨む 右 耳成山、左 畝傍山


  大神神社 三輪明神ともいい、背後の三輪山をご神体とするわが国最古の神社


                三輪明神参道


      




   大美和和の杜展望台からの遠望 耳成山、三輪明神の大鳥居と二上山


          左畝傍山、右耳成山


               二上山


狭井神社で三輪山へ登るための手続きをし、登拝登山のたすきを請け下山後返却する。大神神社のご神体であるので種々の注意事項説明を受ける、撮影も禁止


 三輪山への登山口 三輪山は高さ467mで全山、杉・松・檜におおわれ、行程4㎞で往復2時間ほどである。

  
                 二上山遠望











                   三輪山を臨む





   纏向遺跡は箸墓古墳付近から比較的広範囲に考えられている。





相撲神社 當麻蹴速と野見宿禰が相撲を取った場所(日本書紀)として伝えられている所で、相撲発祥の地といわれている。


三輪山 額田王が奈良から近江への途上の歌 万葉集 巻1の17 (奈良を離れる際、遠く雲に隠れる三輪山を惜しんで)
 味酒 三輪の山 あおによし 奈良の山の 山のまに い隠るまで 道のくま い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを
 しばしばも 見さけむ山を こころなく 雲の 隠さふべしや
   反 歌
 三輪山をしかも隠すか雲だにもこころあらなむ隠さふべしや







               景行天皇陵前方後円墳






            崇神天皇陵前方後円墳





                 長岳寺
















            内山永久寺跡の説明



内山永久寺は「西の日光」と呼ばれるほどであったが、明治の廃仏毀釈の際、寺宝は内外に持ち去られ廃絶した。



        内山永久寺跡 本堂池跡だけが残る



石上神宮 は大和の王の武器庫であり、その軍事を担当した物部氏の氏神であった。百済王と関連の「七支刀」鉄剣が伝えられている。



                石上神宮本殿


石上神宮の出雲建雄神社拝殿(国宝):この拝殿は明治の廃仏毀釈のため内山永久寺(「西の日光」と呼ばれた)からこの場所に移築されたものである。
この出雲建雄神社拝殿は内山永久寺の姿を伝える唯一の建物となっていつ。











             天理教本部壮麗な建物である


             天理駅前広場