いやいや
先週は地震が合っていつもよりお休みもあったけれどね。
あれこれ思うことあり
なんだか気持ちが休めず。
じゃあ、今日は休めているのかというと、よくわからん。
出かける気分ではないので部屋の掃除をした。
東京を離れようとしていたのですが隣りの県に移ったくらいでは
水質汚染の濃度が薄まるだけだよな、と。
空も海も大地もね、つながっているから。
安全ってなんだろうね。
地震があった日に全細胞が生き抜けって指令を出したんだよ、
おなかに子供がいるというのはすごいことだと思ったよ
これまでてきとうに生きてきて、死ぬときは死ぬって思っていたし口にもしていた、そういうことを言うひとたちにもそうだよねって、てきとうに笑っていた、今だけ楽しければいいって、これまたてきとうにそうしてきた
もうそんなことは言えないし、思えない。
今回の地震にまつわる一連の出来事はね、やたら気持ちに響いている
これは、親のほかに守り守られる相手と巡り合えたことと、授かった命のおかげではないのだろうか、と。
前回の日記にも書いたが、これまで被災地に支援や募金をしようなんて考えたことなかったんだよ。
もんじゅの事故も東海村の時も、中越地震も淡路の地震も、同じ国のできごとなのに、無関心だった。へー、たいへん、つらいねー、ってさ、TVに映っている映像を見ても被害のことを聞いても読んでも、なにもしてこなかったよ。
原発反対と言っても、そういった運動には参加しないだろう。
ボランティアと言っても、モノを送ることはしても被災地には行かない。
行こうと思えば、やろうと思えば…ということなのだろうけれど、それは今のわたしにできることではない。
機会があったら、という機会は動かなければやっても来ないだろうということも、知ってはいる
できることを考えてみて
やれることって、忘れないことと続けること伝えることか、と。
同じようなことがまた起きるかもしれない
その時に今起きていることを活かせるようにありたいな。
と、そんなことを思っています。