戦争の責任は政治にある

90歳を過ぎての挑戦、、、ここにきて戦争を知らぬ政治家が幅を利かせ、憲法に取り組むべきを、避けて通る姿は残念に思う。

風化について

2017-03-11 09:41:09 | 日記
3.11の地震、津波、原発メルトダウン事故で広範囲にわたり大きな事故が発生し多くの犠牲者が出た。まだ皆記憶に生なましい光景を思い出す。6年たっても、現地はまだ復興終わらず、簡易住宅のまま、寒さに震え乍らじっと我慢されている。そこで風化させるなと当時の記憶の薄れることを怖れ始めた。思えば直接戦争に巻き込まれない平和な生活の70年を振り返ると、事件と言えば、沖縄復帰返還、並びに以降のの米軍による人身事故、オウム殺人事件が際立っていた。これも風化を怖れた。考えてみれば太平洋戦争の巨大な犠牲者(戦地、国内ヲ含め)もなんとなく風化してきた。人は直接経験しないと、未知のまま、あるいは全く知らされずに来た人もいる。風化ところでない。人は忘れないと進んでいけない。今東京のタワーから見た風景は、戦火の壮絶さは微塵も感じられない。提言する。忘れてはいけない記憶の泉として、完全な避難所の整備三陸地方でいえば、高台までの避難通路の整備である。無言の記念碑である。避難所までの通路の確保が風化を防ぐ。オウム事件の如きは、信者になる人間の弱み、悩みの徹底した解明である。罪を裁けない風化をまつがごとき司法に問題はないか。